未来は平和でならなければならない1
暁い夕日
はじめに
我が国、日本が平和と考えている人が、一体何人いるでしょうか?その数は年々、減少していくでしょう。報道は8割を超えるほど、悪いニュースでもちきりなのです。
勝手に、真剣に、平和について、書かせていただきます。お付き合いお願いいたします。
1.未来を想像してみる
高齢化社会のピークを迎えた2030年、日本は大きな岐路に立たされていた。政府を主とする自衛隊と、日本国内で派生した、闇の軍隊(当事者達は10代~20代で結成された、ロボット兵を操る過激派)との分断で、国内の支持率が、闇の軍隊(以下赤日軍)に4割傾いていた。従来の政府のずさんさに国民が嫌気を露わにしていた。アメリカに敵対心を持つ赤日軍は、ロボット兵をつかった戦争にふみきろうとしていた。アメリカのいいなりにはもうならないという主張をかかげ、最先端の技術でロボット兵器を開発していた。当然のように、自衛隊と赤日軍との内戦が勃発した。内戦は民間人を巻き込みながら、悪い方向へ進んでいく一方であった。 政府軍には、高齢者が多く、赤日軍には若者が多かったため、戦力は政府軍が上であったが、知恵や能力の面で後退し、一進一退の攻防戦が続いていた。
ある町に満知瑠という名の女の子がいた。満知瑠の父親は大変な過激派で、赤日軍の一員として進軍していた。しかし、満知瑠とその母は、父親に内緒で、神を信仰する宗教に熱心であった。 ある日、満知瑠の住む町で空襲があった。それは内戦始まって以来の大きなもので、満知瑠は命からがら逃げだした。逃げる途中で母親とはぐれてしまった。町がどんどん焼の原となり、真新しいビルさえ瓦礫と化した時間、満知瑠は瓦礫の陰で、母の為に神に祈り続けた。 爆音がやみ、静かさを取り戻した町は、満知瑠の知る故郷ではなくなっていた。 少し町を歩けば、知り合いの死体が目についた。 中にお友達の亡骸もあった。 もはや、平和な日本が消えていた。 満知瑠は、ひざまずいて、祈った。「私の望んでいる主よ、どうぞ、これが夢だと言ってください。私の父が人を殺しました。政府軍の爆弾が私のお友達を死なせてしまいました。でも、そうぞ、お許しください。私は平和だった頃に、戦争でも起きて、みんな死んでしまえとつぶやいた事がありました。お友達を殺したのはいつかの私なのです。ですから、主よ、あなたの言われたように私は敵を愛するように求められているのです。ですから、主よ、この現実を恨んだりせずに、ただあなたの救済を望むのです。どうぞ、世界が平和でありますように」
同じころ、満知瑠の知らない男の子が同じ町で空襲の被害にあっていた。男の子の名は春樹というが、春樹は目の前で父親と母親が空襲の戦火に燃え死ぬのを見た。男の子は泣きながら戦火を離れ、必死な思いで安全な高台へ辿りついた。 春樹の家は熱心な仏教徒であった。春樹は両親の死を嘆きながら、仏に祈りを捧げたいと思った。しかし、仏教徒で教えられている仏壇も仏具も、大仏も仏の形をした御守りさえ、持ち合わせていなかった。命からがら逃げたので当然である。しかし、春樹はどうしても仏に祈りを聞いてほしかった。それで、その場に正座をして、両手を合わせて、心に仏を思いながら祈る事にした。「仏様。わたしの手には何もありません。そしてさっき、両親を亡くしてしまいました。どうかこれが現実ではないとお答えください。私の両親を返して下さい。汝、敵を愛せよと貴方は教えられました。この状況下でも愛さなければならないでしょうか?私の両親を返して下さい。両親が還るなら、私は敵の為に祈りたいとも思います。どうぞ、すべての人が無傷で、この世界が平和でありますように」
2.祈り
1.では、私のちいさな脳みそで作った作り話をご紹介しました。さて、本当の祈りとはなんでしょうか? この物語で満知瑠と春樹は、宗教の違いはあれど、世界の平和を祈ることを選びました。私は、ここが重要ではないか?といつも思うのです。
全知全能の神(又は仏様)がいる、という前提で、祈るわけですが、満知瑠も春樹も何もない所で、誰も見ていないところで、同じことを祈ったわけです。これは一致しているという事と、宗教が違うという事に矛盾を生んでいます。しかし、二人の祈りの本望は一致している。
私たちは、一致する事を求められているのです。 しかし、2018年現在、私たちのそれぞれの思いは、目まぐるしく廻る社会の中で、四方八方に、ある人は儲け話に、ある人は人を殺める事に、ある人は純粋に、それぞれの思いを抱えているのです。
じゃあお前は、すべての人に一つの宗教をおしつけたいのか?と、思った人もいるでしょう。私もいつもその問題にぶつかるのです。しかし、ここでは宗教の事は抜きで書きたいと思います。
私たちが生まれながらに持ち合わせている一致とは何でしょうか?それは「良心」ではないかと私は思っているのです。私たちは生まれながらに、欲望や野望を持ち合わせていませんでした。それらは各々の人生の岐路で拾うものだからです。しかし、良心は生まれながらに人の心にあるものだと、私は信じているのです。この良心は親がさずけてくれたものであり、生命の誕生がもたらしたものであり、DNAに備わって、分子が複雑に融合し、すべての人間に与えられた宝のようなものだと思うのです。
勝手に思い込んで申し訳ありませんが、この良心で私たちは本当の平和に導かれるべきではないのでしょうか?
次の章からは、この、良心について、詳しく書いてみたいと思います。
つづく。