1・17
大覚アキラ

何か目的があったわけじゃない。
ふいに何かに突き動かされたみたいに、
閉まりかけのドアをすり抜けるようにして電車を降りた。
大学時代にバイトしていた小さなレンタルCD屋があった街だ。
ホームに漂う空気は、あの頃と同じ匂いがしていた。
改札を抜けると、すぐ目の前に商店街がある。
薄暗くて埃っぽかったアーケードは明るくすっきりと新調され、
あのレンタルCD屋があった場所には
携帯電話のショップができていた。
バイトの帰りによく立ち寄った居酒屋は
女子高生で賑わうドーナツショップになっていて、
揚げたてのコロッケがおいしかった肉屋は
消費者金融の店舗に様変わりしていた。

それが、良いとか、悪いとか、そういうことじゃない。

1995年1月17日午前5時46分、大阪。
ベッドの中で底引き網漁の夢を見ていたぼくは、
とんでもない力に身体中を揺らされて目覚めた。
立ち上がることもできずに、怯える妻をベッドの中で抱きしめながら、
自分に言い聞かせるように「大丈夫、大丈夫」と繰り返していた。
揺れが収まってからも何が起こったのか分からず、
何の気なしにつけたテレビのテロップで、
初めてそれが地震だったと気付いた。
結局、食器棚の中で皿が一枚とマグカップが二つ割れただけで、
ぼくたちはケガ一つせずに再びベッドに戻った。
その後の余震もかなり大きかったらしいが、
ぼくはぐっすり眠っていてまったく気付かなかった。

それが、良いとか、悪いとか、そういうことじゃない。

夜が明けて、電車が動いていないことを知り、
台風で学校が休みになった小学生のように、
ささやかな興奮を覚えたことを、ここで告白する。
細い路地裏に立ち並ぶ家々を焼き尽くす炎に
懸命に立ち向かう消防隊員の姿をテレビで見ながら、
まるで映画のようだと呟いたことを、ここで告白する。
倒壊した家屋の下敷きになった老人が、
近所の人たちの力で何とか助け出される姿を見て、
感動的な瞬間に立ち会った気分になったことを、ここで告白する。
何かできることがあるかもしれない、と思いながら、
何もできることがないのが悔しい、と歯噛みしながら、
結局は何もする気がなかったのだろうことを、ここで告白する。
親をなくし、子をなくし、友をなくし、家をなくし、職をなくし、
すべてを失った人たちの姿に涙を流しながら、
ぼくの家族や友人の無事を喜んでいたことを、ここで告白する。
こんな詩を書くことが弔いにも餞にもならないことを知りながら、
それでも何か意味があることかもしれないと思っている、
そんな自分に軽く嫌悪感を覚えていることを、ここで告白する。

それが、良いとか、悪いとか、そういうことじゃない。

そして、ぼんやりと歩いているうちに、商店街は国道に突き当たり、
アーケードはそこで切り取られたかのように呆気なく終わっていた。
妙に閑散とした、しかし車だけがやたらとたくさん行き交う交差点で、
ぼくはいったい何のためにこの駅で電車を降り、
この商店街を歩いてみたのだろうと自問した。
何のためでもない。おそらく、何のためでもないのだ。
そして、ぼくはいったい何のために
この詩を書いているのだろうと自問した。
何のためでもない。きっと、何のためでもないのだ。
10年前のあの日、この街の何もかもがあっというまに燃え尽きて、
ぼくの人生もその部分だけが燃えてなくなってしまったように思える。
でも、失われた街並みを懐かしんで感傷的になったり、
傷ついた人たちに感情移入して涙をこぼしたりする、
そんな資格はきっとぼくにはない。

それが、良いとか、悪いとか、そういうことじゃない。


自由詩 1・17 Copyright 大覚アキラ 2005-03-17 00:09:39
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