樅の木
ヒヤシンス


 村のはずれの小さな宿で彼の残したシベリウスを聴いていた。
 作品75の5、樅の木。
 流れるようなその旋律に眩暈を覚える。
 まるで夢のように去っていった彼みたいに。

 夕暮れの中、いつも一人でぼんやりしていた私を
 彼は解放してくれた。
 彼の笑顔は私の笑顔だった。
 いつしか私は彼を愛するようになった。

 良い思い出は時に私を苦しめる。
 時間と病魔は彼と喧嘩する猶予も与えなかった。
 だが、三十年たった今でも彼は私の胸の中にいる。

 緑に囲まれた宿の裏手に大きな樅の木が立っている。
 シベリウスの流れる小さな部屋からそれは見える。
 今年もたった一人のクリスマスは容赦なくやって来るのだろうな。


自由詩 樅の木 Copyright ヒヤシンス 2017-11-25 07:33:07
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