夢(ニ) 部分
沼谷香澄

窓の外、乾いた風がぱらぱらとヤマモモの葉を鳴らす。猫がきりりと座りなおす。首を長く伸ばして何かを凝視している。
不可能な猫が財布を手に持って医者行ってくると窓閉めて出づ。
不可能な猫が小さな車椅子引いて座敷を駆け回りおり。
不可能な猫が座敷の戸を開けて人に鼠を見せに来たりぬ。
昔死に目に会えなかった猫がいた。一匹は安楽死、一匹は失踪。いなくなった猫達に別れを言えなかった事を私は三十年間思い続けた。ペットロスなんて言葉はなかった。
家族構成が変遷するたびにパンを捏ねるように心が変形した。家族の関係が変化するときにも。每日夜が更けると言い争いを始める人々。家に居付かない人。監視。呪縛。無視。威嚇。恐怖。萎縮。諦念。自虐。 盾。
冬薔薇の花を落として鉢に挿す芽が一つ出てやがて枯れたり。
オレンジの種を小鉢に埋め置きぬ花一つ咲きやがて枯れたり。
オレンジの花は最後に口あけてなぜ離婚しないのと彼らに言いつ。
ところで待ち人は来なかったらしく猫はほどなく姿勢を崩した。どっという鈍い音。猫は痩せたのではなく夏の暑さに備えて毛を減らしただけなのだがそうだとしたら寝姿の息苦しさをどう説明付けるのだ。
生後一ヶ月で貰い受けてから三年が過ぎたが切なさはいまだ変わらない。父に話を戻そう。
不可能な彼が景清を謡いおり暗い座敷の灯り背にして。
不可能な彼、里山に走り入り遠き深山の主になりたり。
不可能な彼の好みし箴言を集めるいずれ世に問うために。
不可能な彼の蔵書を売りに出すために土蔵に足踏み入れぬ。
父は何をしたかったのか、と問うことに意味はあるか?現在の答えはノー。断続的に訪れる病気と、アレルギーと、手術と、事故と、境遇を経てなお永らえているだけでも驚異的である。
しかし。昔々の、暗い蛍光灯の八畳間に「おとうさんのひきだし」のあった時代に、同じ問いを問うたらば、また違ったものが得られたかもしれない。かもしれないなどととんでもない、父も、(母と同じように!)、したいこと、したかったことを常に口惜しそうに語っていたではないか!(よく聞けばいつも子ども心にさえ目先の情報に踊らされていると思わざるを得ないものでしかなかったが)。
戦争中の子どもの夢は「生き延びること」。その夢を父は大きく果たしたのだ。(他の夢を抱き得なかった哀れな者たちよ!)蔵書?土蔵?とんでもない。そんなものの持てる暮らしなら昭和の時代に口減らしのために奉公に出されることもなかったであろうに。
柘榴 桑 アケビ 木苺 蛇 蛍 鼠 足高蜘蛛 鉦叩
お父さんおめでとう夢はかなっていたんだね。
パキラパキラ 花が咲いたと お勝手のうすら湿った噂話と
猫が異臭を気にして後脚を舐める。勝手口の扉の外には私が腐らせた貝が捨ててある。
左手の指と肘とを蚊に食われ右手が痒くて目を覚ましおり
もうひとつ問う。何をもって、私を傷つけた中途半端な欲を相殺する?発展する社会の中で矮小な人格で不器用に私を愛した父を嫌った私は罪を犯していたのか?いたのだ。私は父を抱きしめる前に、足もとに下り許しを請わなければならないだろう。大袈裟ではなく。大袈裟ではなく。夢を果たして七十余年を生き抜いている父に幸いあれ。次には私達が娘にしてやるべきことが見えてくるはずだ。
何が起こるかわからなくなってしまっているからといって何もしないわけにはいかない。個人に滓のように溜まった感慨など時の激しい流れが持ち去ってしまうだろう。
四季がある変わり目ごとに風邪を引くように杉菜のコロニーが立つ。
この腐臭はいつまで続くのだろう。
空は青く雲は白く子さだめて流れにうまく乗りて去るべし。


初出:Tongue10号 2004年9月11日 原文縦書


短歌 夢(ニ) 部分 Copyright 沼谷香澄 2017-11-16 19:05:10
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