一職員
葉leaf
実存は講壇で論じられるものではなく、勤労の現場で生きられるもの。勤労者は自らの青い実存を社会にさらし、不条理の網に引きずられている。「仕事には筋と理屈があり目的に向かった体系に沿っている」その哲学は天上の楼閣のようなもので、大地の上では不定形な仕事の匍匐運動が見られるだけだ。実存が実存を採用し、採用された実存が出世して部下の実存に指示を出す。死すべき実存たちは先駆的に結婚し住宅を購入し退職する。
朝早く出勤して職場の鍵を開けると、そこには職場の死骸が広がっている。誰一人いない職場で電灯をつける。従うべき正義はいくつもの尾を持つ蛇のようなもので、それぞれ貪欲に私を食らおうとしていた。自らの正義などいかほどの権力も持たない。組織において私は個人ではなく、主権は個人に存するのではなく、あくまで組織に存するのだ。
期日から逆算して仕事の手順を組み立てる。期日は現代における何かしら魔的な時間だ。魔術は古来から犯しがたいタブーを背負っていて、魔術をもとにまつりごとはなされていたが、現代においてもそれは期日という形で残されている。期日を必ず守らないと、不吉なことが一族郎党に降りかかるのだ。組織というものも畢竟祭祀的な空間にほかならない。
理は尽くされない。すべての理を尽くすのを待つほど社会は悠長ではない。それを理不尽という。社会はいつも気忙しく、焦っていて、余命がいくばくとないのだから、そこでは当然理の不徹底が生じる。社会の乱走に個人の足並みなど所詮ついていけないのだから、その速度の差に理不尽が宿るのは当然だ。個人はこの速度の差を埋めるために組織を作ったが、それでも未だに社会の怪走にはついていけない。