羽音の思惑(かべのなかから)
ホロウ・シカエルボク


殺菌されているような灼熱の中
塞がれてはいないが、とうに朽ちて
忘れられた路の、ひび割れた路面に
おれが求めるうたはいつだって落ちている
摩耗したスニーカーの靴底で、搔き集めながら歩いてゆく
忘れられたのは、意味を失くしたから
雑草と落葉と、小石と、苔に塗り潰されて
枯れた川のようにうねりながら
いつかは自分だけのものだった到達点をまだ目指している
迷い込んだ風だけが、すべてを知っている通り
放置された自動車、元の色も判らないほどに錆びて
もう回らないハンドルは、痴呆者の目つきのようだ
草むらで弛んでいた馬鹿でかい飛蝗が、俺の歩みに驚いて跳ぶ
夏に跳ぶ虫の羽音は、みんな仕掛け花火のそれに聞こえる
思い出したように鳴き始めるツクツクボウシ
巨大なアンテナの根元でピッチが怪しくなる
つま先になにかがぶつかって、おれはそれを石だと思ったのだけれど
拾い上げてみるとなにかの肋骨だった、草を描き分けてみれば
それがなんなのかははっきりしただろうけど…
入道雲はとろけて、先週ほどもはっきりとはしない
死んだ路の上の死んだなにか、それを見届けるのはきっとおれじゃない
しばらく歩くとトンネルが見えてくる、草むらのなかに突然
そこそこ長いそれはたくさんの暗闇をくわえこんでいる
差し込む光が揺れているので、水が溜まっているのだと判る
ポケットから小さなマグライトを出して照らしてみると
歩けなくもなさそうな一本のラインがあった
そのままトンネルの中へ足を踏み入れる、光が届かなくなるところで
まとわりつく空気はがらりと変わるのだ
少しだけぬかるんだ足元を注意深く歩いていると
いつからか過去が語りかけてくる、それはいつも決まって
とうに忘れてしまっていた些細な出来事で
時々立ち止まってなんとかその日付を思い出そうとするけれど
記憶の壁に掛けるカレンダーなどどこにもないのだ
時折吹き抜ける風は埃っぽく、閉じ込められた時が錆びついている
コンクリートをすり抜けてきた水滴が溜まりの上でステップを鳴らす
リズムは上手くない、だけど、それは永遠に鳴り続ける
巨大な音叉がひとつ振動した、その響きがずっと続いているようだ
その中央で立ち止まれば、もしかしたら死なずに済むかもしれない
トンネルの中で見るすべてはまぼろしだ
ほんの少しだけ進むのを躊躇ったのはきっと笑い話さ
出口が近付くにつれ、眩さが迫って来る
自分がそこに向かっているのに、眩さは迫って来るのだ
トンネルの出口で、あまりの光にしばらくの間目を閉じたままでいた
暗闇の中であまりにも長く長く、その成り立ちを見つめ過ぎたせいだ
路の両端から、刃物のようにすらりと伸びた薄緑の草が
ゲートのような屋根を路の上にこしらえている、誘う
設えられた路は、訪れるものを誘うためにある
失われた路の向こうに、おれを待っているなにかがある
もしも急いだら世界を乱してしまう気がして、葬列のように歩いた
荒れた舗装の上、狂ったような真夏がのた打ち回っている
顎の先から汗が滴り落ちる、すでに汗をまとっているような上半身
片手にぶら下げた水を一口飲むと、それが通過していく内臓をはっきりと感じる
どこから来たのか知っているのに、どこが到達点なのか判らない、それだけで
漂流しているみたいな気分になる、そういう種類の心許なさ
ウンザリするほどに緩やかなカーブを曲がりきると一匹の蜻蛉がホバリングをしていた
俺の姿を見ると、「待っていた」とでも言うように大きく上下し
すっと前方へと進んで振り返った、「ついてこい」とでも言うように
どのみち向かう方向は同じだった、おれはまた歩き始めた
蜻蛉は常におれの一メートルほど先を飛んでは待っていた
それは本当に道案内をしているみたいに見えた、どこかの執事みたいだった
ただ生える植物、ただ群れる動物たちの中で、俺と蜻蛉だけが違う種類だった
蜻蛉の先導は十分ほど続いた、そしてそいつが立ち止まったその場所には
草に隠れるようにして山肌にぽっかりと口を開けた洞窟があった
「またトンネルなのか?」冗談だったが、あまりうまくなかった
蜻蛉ですら知らないふりをした、「入るんだよな?」なにもなかったように俺は問いかけた
蜻蛉はさっきまでの記憶を失くしたみたいに羽を震わせて去って行った
洞窟の入口は釣鐘のような形状で、少し腰をかがめれば大人でも楽に潜れるぐらいだった
俺は迷うことなくその入口を潜った、このまま路を歩くよりずっと面白そうだったから
スマートフォンのライトをつけて行けるだけ行ってみようと思った
穴は広くも狭くもならず、同じ姿勢のまま一時間ばかり歩き続けた
そこからは少し傾斜がきつくなり、どこかから水が流れて来ていた
危ないかもしれない、と思った矢先だった、スニーカーの靴底は濡れた岩肌にさらわれ
洞窟の遥か奥まで滑り落ちた、スマートフォンはどこかで手から離れた
どれぐらい気を失っていたのか、気づいたときには漆黒の闇の中に居て
水が流れる音を聞いていた、しばらくそれを聞いていたがやがて動こうとして
身体の自由がまるで効かないことが判った、首だろうか?麻痺しているようだった
それはもうどうあがいても助からないことを意味していた、あれから…
あれからどのぐらいの時が流れたのかもう判らない、長い年月をかけておれは死蝋化し
さらに長い年月をかけて周辺の岩に溶け込んでいった、そのとき
数人かの意識がおれの中に流れ込んでくるのが判った、ああ、おれだけじゃないんだ
蜻蛉よ、おまえはいつからここでこうしているんだ
おれはどこか近くに居るのだろうやつにそう問いかけた
微かな羽音が辺りの空気をくすぐった、またいつか
やつが連れてくる誰かがおれたちの上に積もるのだろう


自由詩 羽音の思惑(かべのなかから) Copyright ホロウ・シカエルボク 2017-09-01 22:24:18
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