鹿の王
やまうちあつし

 親しくなった同僚から、自宅に招待された。仕事が終わった後、小一時間ほど電車に揺られていくと、自宅は校外の一軒家である。同居している家族もおらず、気ままな一人暮らしだそうだ。
 飲み物と簡単な手料理でもてなされひとしきり談笑していると、見せたいものがあるという。案内されるままに、コンクリートが剥き出しの階段を地下へと降りてゆく。踊り場を一つ抜けたところに扉が見えた。開けようとすると、そこではないと制止する声。もう一つ下へ降り、今度こそ扉を開ける。するとそこには
鹿がいた。五メートル四方のコンクリートの空間に、静かに佇んでいる。特筆すべきはその大きな角で、鹿本体は大人の腰までぐらいの標準的な大きさであるが、頭部から突き出た角は、部屋全体を覆いつくすほど、不自然なぐらいに発育していた。思わぬことに言葉を失くしている私に、同僚は何も説明しない。ひとしきり鹿を眺めさせた後、部屋から出るよう促した。
リビングに戻る階段を昇っている最中、同僚は私の背中に硬いものを押し付けてきた。私は身の危険を感じた。それが私に対し、秘密を厳守することを強要する意味合いのものであることは、容易に想像がついた。同僚は私の耳元で囁く。
きみならひみつをまもってくれるといぜんからおもっているよ。ごらんのとおりしかのつのはいまにもちかにかいのへやをつきやぶってしまわんばかりにはついくしきっている。りかいしてくれるね。
私は腰のあたりに当てられた硬い物体の存在を感じながら、曖昧に頷くしかなかった。
翌日職場で顔を合わせた私たちは、何食わぬ顔をして挨拶を交わし、いつものように業務をこなした。昼休みになると、自宅への再度の招待が記された、彼からのメールが届いた。私は何食わぬ顔をしてそれを読み、返信をした。


自由詩 鹿の王 Copyright やまうちあつし 2017-07-11 09:07:38
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