つぶやきにおけるささやかな砂。
木築

かなしみが、一律に同じ形をしていれば、いくらだって切り貼りして、いびつな模型を作ってみせる。

言葉なんてあいまいで、うそ、のひと言で理解してしまえる。うそがうそであることが、なによりうつくしい。

明日なんてこなければ、って、うとまれた今日でペンを持つ。目を閉じたときから、それは未来に変わってしまう。

十億光年を一秒に変える魔法をみんなが持っているから、安っぽくてカワイイんだって気づいているよ。

うそからでたまことほど、信じられないものってない。誰が見たらそうなるの。あなたが、そして、わたしが。だれ。そうだね、ぜんぶ、うそ。


……。


という、なんということのないつぶやきを滔々と並べて、ブラックアウト。音はスイッチでシャットアウト。ばかばかしいなあ、とつぶやいた口こそほんとうで、じゃあ文字に出したものはすべて虚構なんだろうか。そういうばかばかしさに、あらゆることがつまっていて、それはつまり砂金のようなささやかなきらめきだから、いっしょくたにまとめられてぼんやりとあたりを眺めては「ここにはなにもない」なんて思っている。砂金のきらめきはうそですか。砂の粒はいびつなかたちをしていて、とげやまるみがいとおしいね。うつくしくないから、かわいくないなんてことはない。たくさんのかわいいものたち、あらゆるちいさなつぶがすりあわさって音を立てている。


自由詩 つぶやきにおけるささやかな砂。 Copyright 木築 2017-05-24 00:31:45
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