つぶやきにおけるささやかな砂。
木築
かなしみが、一律に同じ形をしていれば、いくらだって切り貼りして、いびつな模型を作ってみせる。
言葉なんてあいまいで、うそ、のひと言で理解してしまえる。うそがうそであることが、なによりうつくしい。
明日なんてこなければ、って、うとまれた今日でペンを持つ。目を閉じたときから、それは未来に変わってしまう。
十億光年を一秒に変える魔法をみんなが持っているから、安っぽくてカワイイんだって気づいているよ。
うそからでたまことほど、信じられないものってない。誰が見たらそうなるの。あなたが、そして、わたしが。だれ。そうだね、ぜんぶ、うそ。
……。
という、なんということのないつぶやきを滔々と並べて、ブラックアウト。音はスイッチでシャットアウト。ばかばかしいなあ、とつぶやいた口こそほんとうで、じゃあ文字に出したものはすべて虚構なんだろうか。そういうばかばかしさに、あらゆることがつまっていて、それはつまり砂金のようなささやかなきらめきだから、いっしょくたにまとめられてぼんやりとあたりを眺めては「ここにはなにもない」なんて思っている。砂金のきらめきはうそですか。砂の粒はいびつなかたちをしていて、とげやまるみがいとおしいね。うつくしくないから、かわいくないなんてことはない。たくさんのかわいいものたち、あらゆるちいさなつぶがすりあわさって音を立てている。