喪失
少年(しょーや)
今年も、思い出せなかった
6年前の事を今年も、思い出せなかった
去年は5年前の事
一昨年は4年前の事
来年の今頃には7年前の事になる記憶を、思い出せなかった
思い出しようがない
断片になって散らばったまま繋がらない
現実として認識出来ないままもう6年経った
何時頃に起こったのか
どんな様子だったとか
リアルタイムに現実を感じられていなかった
唯一キーワードとして残っているのは「3.11」という数字だけ
それを聞くといろんな意味で胸が痛くなってしまう
断片的に思い出せるのは
当時、父親が吐き捨てていたいくつかの言葉
憶えてる
当日だったか翌日だったか
ニュースで行方不明者が何人だとか
亡くなった人たちが何人だとか
そう言った事を伝えている映像を観て父親が
「行方不明者なんてどうせ死んどるんやから死んだ人数に数えるべき!いちいち都合よく言い過ぎ!」
って文句言い続けてたこと
憶えてる
また別の日のニュースで
被災した現場の様子を伝えているレポーターが話している途中
余震が起こって「いま激しく揺れています!揺れています!」ってカメラに向かって叫んでいるのを観て
「こんな時まで金儲けか!!」って父親が叫び返してNHKに苦情の電話を入れていたこと
憶えてる
どこにどうやって集めた金をいつ運ぶかもはっきり書いてないような募金なんかに協力する筋合い無いってボヤきながら、小銭を500円玉から1円玉まで一生懸命に父親が数えていたこと
憶えてる
「地球が人間の生まれる前の自然界に戻ろうとしととるんやから、逆らうな!自然には勝てへん!逃げて助かろうとする事がおかしい」って説教されたこと
憶えてる
「やっと人類滅亡や!」って安堵のため息を吐きながら話して聞かされたこと
憶えてる
「不謹慎かどうかを考えることがこの世で一番不謹慎!」って言われたこと
憶えてる
「まぁ、人間は絶対死ぬでなぁ。遅いか早いかだけやでなぁ」って言われたこと
6年前
俺は死にたかった
生きているのが苦しくて自分を維持するのに必死だった時期だった
仕事も生活もロクにやりくり出来ず
何度も職を変えていた時期だった
誰かの事を考える余裕が無かった3〜4年間の最中の時期だった
今振り返ってみるとどうやらその頃に、大きな地震が起こっていた
ごめんなさい
あの時に死んでおけばよかった
あの日に死んでおけばよかった
沢山の人が誰かを思い、誰かのために祈っている
人が死ぬことはとても悲しい事だ
悼む気持ちはやさしい
あたたかい
名前も顔も知らない誰かを悼む事はとても美しい
でも、俺があの日に起こった現実を思おうとしてもしっかりとピントが合わない
まるで嘘をついてしまっているようで
悼む事が、悼もうとする考えそのものが申し訳なく思えてしまう
この先しっかりと思い出せる日は来ないかもしれない
散り散りの、残りの記憶だけは刻み込んでおく
『それだけば絶対に間違っている』と。