わかる
はるな
わかるのは、わからなくてもいいようなことばかりだ。
ききょう、ぴなぴなして頼りない花びら。ここにいる前に、どこにいたのかわかる。前にいた場所からここまでも、きっと歩いてきたはずだけど、どう歩いたかはわからない。
これ以上はもうあふれる、というところをとうに過ぎて、それでもなぜか引き合ってふちにしがみついている水みたいにして、気持ちは繋がろうとする。
わからなくてもいいようなことばかりわかってしまうのは、ちょっと愚かだ。
なにも塗ってない爪はバタなしのトーストみたいにかわいてそっけない。切れない包丁で切ったトマト、熟れた壁に流れるポップミュージック、聞き取れない言語、たぶん陽気な。
雨が明けたら春が来る。春が来たらどうなるんだろう。生きていったらどうなるんだろう、死ぬまえにいちど死んでみたいと思ってた、朝焼けと缶詰の感動的なマッチング、精度を上げて暴力をふるいつづける検索機関。
愚かだとしても、わかろうとしないことよりはましだと思っていた。思っていることが裏返るのも当然のことだし、物事が終わり続けているのも当然のことだし、生きているなら死ぬことも当然のことだし、なんだか当然のことばかりなのにいちいち驚いてわたしのからだは裏返ってしまう、子供まで作ってしまう。もう二度と、と思うこともう一度、と思うことはとてもちかいし、近い、というのは同じじゃないという点において決定的に遠いのだし、ガソリンメーターみたいにわたしたちは半円じゃないのだ。ガソリンメータ―。
忘れない、という決心が、忘れよう、という決心ととても近いみたいに、愛してると思い込むことと愛してないと気付くことも近い。世界はきっととてもいいのだ。人生がちっともよくないものだとしても、世界はいい。信じる、という円を切れない包丁で切ってみる、つぶれた断面にいくつものあれがみえる。あれっていうのは、つまり、、、まだわからないっていうことなんだけど。