無駄な境界線を引きたがるインサイドとアウトサイド
ホロウ・シカエルボク
小さな金属の塊がふたついびつなフロアーを転がってぶつかった時のような音が脳髄のどこか奥深いところで何度か聞こえた、その感触は絶対に忘れてはいけないなにかをしまいこんだ鍵付きの抽斗の鍵が壊れてしまってしばらく経ったあとでそれに関するなにもかもすべてがおぼろげになってしまったと気づいた瞬間の心許なさに似ていた、窓から見える二月最初の週末は薄雲に阻まれた煮え切らない太陽に彩られていて、その色味は街路に溢れている連中の表情がまるで酷い喪失のあとのように見えるなにかを含んでいた、そんな景色を見ていると愉快なピエロの映像にホラー映画のサウンドトラックを合わせると途端に恐ろしくなる、という一昔前の流行を思い出した、真実なんてどうだっていいのだ、それがこの俺とまるでリンクしてこない限りは―空気は冷えていたけれど憎しみを覚えるほどではなく、空腹だったけれど切迫したものではなかった、チャンネルをヘヴィ・メタルに合わせて手元に転がっている雑誌を拾って読んでいるうちに二時間ほどが過ぎていた、無意味な熱心さは眼球を酷く疲れさせただけに終わり、少しの間目を閉じた…少なくともいまのところはそれだけのことでしかなかった、目で見たもの、耳にしたもの、口にしたもの…身体に取り込んですぐに形を変えるものなどそんなにはありはしない、もしどこかでそう考えているのだとしたらそれはとても愚かしいことだ、すべては取り込まれ、消化され、吸収されて、破棄される、体内を巡りながら次第に形を変えていく、自分の身体にしたがって形を変えていくのだ、その基準は自分自身ですら理解出来はしない、ドラッグストアで買える間に合わせの薬みたいにあっという間に効能を発揮したりしない、ただ受け取って、あとは忘れておけばいい、そしてそれがたとえば、鍵の壊れた抽斗の中なんかに迷い込んでいたとしても本当はなんの問題もない、一度触れたものであればそれは必ず体内で息づいている、数年前、目覚める直前に見た夢のことを突然思い出すみたいに、ある日現れることがあるかもしれない―路面電車が通過して安普請の住処は僅かに振動する、そんなことにももうとっくに馴れてしまった、立ち上がり、台所で水道水を飲む、ぶるっと震えてしまうほど地中の管の中でそいつは冷え切っている、それは俺の消化器官のすべてを塗り潰す、「なにもかもを容易く鵜呑みにするんじゃないぞ」ヘヴィ・メタルはそんな意味合いの歌を気のふれた女のような声で叫んでいる、ニュースを見ようと思ってテレビを揺すり起こすと昨日のニュースをやっていた、ストーンズの歌みたいにさ…日本のいたるところで鬼が追い出されたって話していた、くだらないバラエティーが始まってもう一度テレビを眠らせた、飲み干した水道水は胃袋の底を洗っている、椅子に身体を預けて目を閉じながら、俺はまだ逃げていない鬼が潜んでいる場所をひとつ知っていた、まどろみの中でそいつに話しかける、なぁ、そろそろひと騒ぎしないか…そいつはにやりと笑ってなにごとか答えたが、それをきちんと聞き返せるほどにもう俺は目を覚ましては居なかった。