そうしてぼくはランナーとして
天野茂典
父と子は走った
父はバイクで
そうしてぼくはランナーとして
伴走してくれる父の後についていった
中学校のマラソン大会で
ぼくはびりの方だった
帰ってくるランナーに女子が拍手してくれるのだが
その中にぼくの好きな子がいたのだ
ぶっ倒れそうになって戻ってくると
ゴールの手前に陣取って
彼女はいた
かっこ悪かった
情けなかった
ぼくはこの屈辱を目指すため
長距離を練習することに決めた
コーチは父だ
父についてぼくは
街の中を
郊外を走った
毎日のようにだ
父のコーチを受ける前にぼくは一人で
河原を走りこんでいた
マラソン大会ですぐ腹が痛くなって苦しくなったが
走り込みで今はもう腹の痛みはなくなっていた
クロスカントリーのように父は
アップダウンを 直線距離を
バイクの速度でぼくをひっぱった
5キロ 10キロ 15キロ 20キロ
25キロ
30キロ 40キロ
距離は次第に長くなった
どこをどう走ったのか分からない
父は無言の激励で少しづつぼくをランナーに近づけてくれた
長距離を走ると筋肉が張る
苦しい顔で
もがきながら
父のバイクについてゆく
よくついて行ったと思う
ぼくもまけず嫌いだから
もうやめてくれとはいわなかった
親子だから意志が通じたのだ
練習は一年近く続いた
どこを走っていたのかは今も本当に分からない
苦しくなると電信柱を数え
目を少し先に落とした
大学付属男子校
体育会系
高校の全校マラソン10キロ
で600人中11位
川崎市教職員陸上大会1500mで
2位
市の代表に選ばれた
神奈川県大会で入賞すれば国体出場だったが
タイムレースで落とされた
組順では2位だったのだが
この父と子の
アランシりトーの『長距離ランナーの孤独』ではないが
父という伴走者がいて
賞を取るより
愛を獲得することに意味があったのだと思う
いまも心の中でこのレースはつづいている
父と子のバラードだ
陸上未経験者の父とランナー志望のぼくとの戦いでもあったのだ
いま父は街が見渡せる高台の墓地で
静かに眠っている 58歳だった
2005・03・05