吉野(その二)
tonpekep

ロープウエイからしもせんぼんの桜が見えた。散ってしまった桜の木がほとんどであったが、中に満開の桜の木もあって、同乗しているおばちゃんの数人が歓声をあげた。声のトーンからして関東から来たおばちゃんだろう。関西にはない上品さが言葉の切れ端に感じさせるが、基本的には同類に属する。何かのしがらみからの開放感からか、到着するまでずっとしゃべり続けていた。

いつかきっとこのロープウエイは落ちるぞと確信をしながら、吉野山駅に下車。下りるとすぐに金峯山寺(きんぷせんじ)の総門である黒門が目に飛び込んでくる。石垣の側に構えるその黒塗りの門の屋根に覆い被さるように桜の木があって、門をくぐると木洩れ日と桜の花びらが交じり合うようにして落下してきた。

金峯山とは吉野山から山上ヶ岳(大峰山)にいたる山々の総称で、“金のみたけ”という意味だそうだ。修験道の根本道場で、役行者が金峯山を開き聖宝理源大師が蔵王権現像を安置したと云われている。

その金峯山のどこからか鶯が春を染み透らせるように鳴いた。
視聴覚が美しいと震えるような一瞬がそこに完成したが、ふと、案外録音テープだったりと思ってしまった。現代人の悲しい性か。ただ、美しいと感じたことは確かで、記念に先日買ったばかりの携帯電話、FOMA F900iのカメラで黒門を撮影する。

散っていく桜の花を追いかけるようにして蔵王堂へ向かう。
たくさんの観光客がいて、吉野の春を切り取っていくかのようにカメラのシャッターを押している。
蔵王堂の屋根瓦がほどよい日射しに濡らされて、堂の周辺を光のレイスがふわりと掛けられたように微かに照らされている。
蔵王堂の正面にある四本桜はもうすでに散っていて、そこだけ時間を再生できたらと、FOMAの画面を覗きながら思った。

蔵王堂は金峯山の高台にそびえ立つ、東大寺大仏殿に次ぐ木造の大建築で、本堂は1592(天正20)年に再建された。南朝時代のものではないが、佇んでいるとこんな山奥に落ちてきた後醍醐天皇の思いのようなものが皮膚にチクチクと感じられて、足利尊氏は大嫌いだったろうなと思ってしまった。

現代で例えるなら、リストラでやって来た見どころのある男を部長待遇で雇ってやったら、いつの間にか会社経営を握られて、挙げ句の果てに会社を乗っ取られてしまった間抜けな経営者みたいな感がある。

蔵王堂から勝手神社に向かうと、そこは門前町の賑わいで、道の両側には軒を争うようにして店が並んでいる。花見の時節柄、吉野の商いは人でごった返している。中には中古の鞄を売っている店もあった。一ヶ500円とある。何を売るのも人の勝手だが、少しこの名所にはそぐわない感じがして面白かった。

花道を行く。ひらひらと落ちてくる桜の花で、道は化粧をした女のように、匂うように溢れ返っている。勝手神社の前に来ると、大きな看板のようなものがあって、そこに静御前の神社と大きく書かれていた。勝手神社には袖振りの伝説がある。

大海人皇子の奏でる琴線に感じ入り、天女が袖をひるがえして舞ったという伝説があり、義経と別れた静御前が追手に捕らえられたとき、請われて舞いを舞ったという伝説がある。義経の時代には大海人と天女の物語があったことを思えば、おそらく追手の誰かがその話を知っていたのか。或いは神主からその話を聞いて感じ入ったか、当時一流の舞子として有名であった義経の妻、静にリメイクさせたい衝動にかられたプロデューサーみたいな指揮官でもいたのだろう。リメイクした静の舞いは、義経の悲劇性も功を奏して見事に現代でも語りぐさになっている。


散文(批評随筆小説等) 吉野(その二) Copyright tonpekep 2005-03-04 14:56:55
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