ことばを灯す
たま

十二月、空はひくい。
落ち葉の季節も過ぎた。
竹箒を立てたようなケヤキの並木がつづく国道。
鳥の巣が傾いたまま、
ケヤキの梢にひっかかっている。
いつ落ちてもふしぎではない、そんな気がする。
あれは、不器用なキジバトの巣。

介護ホームの母を訪ねる。
母の部屋の扉の鍵は、十円玉一枚あれば開く。
まるで幼稚園児の隠れ家みたいだった。
北の窓がひとつ、
ベッドがひとつ、
洗面台がひとつ、
テレビと、簡易トイレと、
車椅子がひとつ、
室温二十一度のエアコンと、
天井のあかりがひとつ、消えたまま、
母はひとり、
午後の部屋に横たわる。

 みぞれ、ふってるわ。
 そうか、さぶいか?

窓のカーテンを開けて、ことばを灯す。

 きょうは休みか?
 うん、土曜日や。
 そうか、きょうは土曜日か。

白い壁には師走のカレンダーが一枚。
火曜日と、金曜日の赤いマルはデイサービスの日。

 大きな数字のカレンダーないかなあ。
 うん、わかった。

お正月が来ても、母がほしいものはそれひとつ。
元旦は母の誕生日だった。

 八十四になるんやなあ。
 だれや、わたいか?
 うん、あんたや。

三十五歳で逝った父の歳を数えているのだろうか。
三人の幼子を抱えて、
母は不器用に生きた。
職と、衣服と、あかりを求めて、
母が架けつづけた、梢の巣は数えきれない。

 岐阜のおばあちゃんは産婆さんしてたん?
 そうや、満州でな、中国人の村までお産に行ったんや。
 引き揚げてくるとき、村の人みんな泣いてなあ。

母とわたしのふるさとはどこにあるのか、
なんて、
想う年頃になったとしても、
そんなことはもう、どうでもいい。

いつ、どこで、年の瀬を迎えても、
母のいる場所が、
わたしのふるさとだった。











自由詩 ことばを灯す Copyright たま 2016-12-11 15:59:55
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