ひとりでいるために
はだいろ
ぼくは47歳であるが、
でも本当のところは、
だいたい3歳から4歳くらいなのではないだろうかと思う、
だから、
目の前に、40歳だとか50歳だとか、20歳でもいいけれど、
そういう人がいても、
話すことなど何もない。
4歳の娘と真剣に話し合っている。
人間として、首がすわっていない。
実にそう思います。
振りかえっても(なんでそんな必要があるのかわからんが)、
失点の覚えしかない。
他人との距離のコントロールの仕方がわからない。
だからあの人がああなってしまって、
ぼくがそうならなかったことに、
説明のつく理由はないと思う。
TSUTAYAで娘にプリキュアのアニメを借りたとき、
無料のクーポンがもらえたので、
宇多田ヒカルの新しいCDを借りてきた。
ちょっと前に、テレビでインタビューされているところを、
ちらっとだけ見たら、
ぼくは、そのとき、
宇多田ヒカルと話がしたいと思ったのである。
あの、
その、
話がしたいと、思った。
例えば、政治家と、
全く、話がしたいとも、できるとも、思わない。
そういう回路を、お互いに、全く持っていないし、
なんの、話もない。
だけど、
例えばだけれど、
あの、
その、
天皇陛下とは、話がしたいと思う。
同じように、
宇多田ヒカルとは話があるのではないかと思った。
もう長い長い間、
誰とも、
本当の話を、話してはいないのだろう。
ひとりでいると、本当に楽しい。
いつからそうなったか、よくわからないが、
もともと、3歳や4歳の頃から、きっと本質的には、
ひとりが好きで、ひとりになりたかったのかもしれない。
ひとりでいることほど、豊かなことがあるだろうか・・・
なのに、
どうして、
あの、
その、
誰かと、
話がしたいと、苦しいほどに、思うことがあるのだろうか。
どうして、
音楽を聴くのだろう、
どうして本を読むのだろう、
どうして映画を見るのだろう、
娘も、
どうしてだろうねーと、
真剣に考えている。