なまはげがつくってくれたチャンプルゥ
コトコレ
囲炉裏ばた。なまはげがつくってくれたチャンプルゥがすさま
じくマズく、涙目でごちそうさまをいうと、「ドウダッタ」な
んて、あんのじょうの禁断の問いだ。このばあい、ぼくが悪い
子にならないためにはなんとこたえればよいか。あんなチャン
プルゥつくるなまはげが悪いんだが、その悪はすでにぜった
い的なものであって、そのぜったい的な悪のおかげで、たしょ
う悪い子になるなんてささいなことにしろ、なまはげは悪い子
を許さない。なまはげだからだ。とりあえず「マズかった」は
だめだ。つくってくれたなまはげに失礼だ。あんなチャンプル
ゥつくるなまはげが(以下略)。「おいしかった」もだめだ。
なまはげに嘘はバレる。そんな気がする。これいじょう黙って
るのもだめだ。沈黙は「マズかった」の表現にバケてゆく。感
謝のきもちをわすれず、なおかつ正直であるべくして、
「不快だがありがとう」
ぶんなぐられたあとの冬景色、くろぐろとした松に荒縄でしば
りつけられながら、ぼくは反省していた。ぜったい的な悪が裁
く者であるとき、悪い子にならないためには、あいてのきもち
もじぶんのきもちもどーでもよくて、あいてにもわかるざんこ
くな事実だけがたいせつなのだ。「すげえ青かったです」とか
そういうことなんだ。とき、すでにおそく、背をむけたなまは
げがシュカーッシュカーッて包丁研いでる。出刃包丁でチャン
プルゥつくってんじゃねえよ。