ブラック&ホワイト
ホロウ・シカエルボク



街の端っこの更地を囲うフェンスに絡みついたまま枯れた蔓の落書きのような交錯の隙間から血走った目が俺のことを見ていた、俺はその目に見覚えがあった、鏡で確かめるまでもなかった、斜視で歪んだ照準はそれでもこちらを真っ直ぐに見つめていた、何かしらの思いがそこにはあったけれどそれを正しく読み取ることは叶わなかった、忘れられたようなその区画には俺以外誰も生きたものはおらず、おまけに雨模様でそれはまるで現代的な幽界のような様相を呈していた、時刻は昼過ぎで空腹を感じていたが、欲望として処理するにはもう少し時間がかかりそうだった、俺は見つめ合っても仕方がないと思った、だが、この先にはもう潰れた造船所と小さな港しかなく、そこまで歩いてみてもやはり仕方がなかった、散歩の途中でこの道に迷い込んだのもほんの気まぐれのようなものだったのだ、今日は休日で、いつもよりもたっぷりと睡眠をとったけれど、普段の蓄積のせいか天候のせいか、気分よくすっきりと目覚めたというわけにはいかなかった、こんなところに迷い込んだのはそんな、ぼんやりとした気分を抱えて歩き続けたせいかもしれない、なにかひとつ、朝飯代わりの飲料を求めてふらふらと歩きだしただけだった、焦点が定まっていない、でもそれは斜視のせいではなかった、なにも思いつかなかったので俺はその目をしっかりと見返してみた、予想はついたことだったけど鏡を見ているときとたいして違いはなかった、ということは、やはりそんなものと見つめ合っていても仕方のないことなのだ、俺は視線を逸らして潰れた造船所のほうへ歩き始めた、数歩歩いたところでそんな目のことはすっかり忘れた、海の近くに建てられ、放置された巨大な廃墟はなにもかもが赤く錆びていて、押し入れで散々湿気た布団のような潮の香りがした、それは俺に古臭いアパートを想像させた、造船所の正面玄関の前に立って、硝子戸越しに長く続く廊下を眺めた、ここに来るといつもそうするのだ、硝子にもやはりさっきと同じような目が映っていた、でも俺はもうそれを見なかった、廊下の先に何があるのかは見えなかった、そこには閉じ込められた過去だけがあった、船を作りながら死ぬまで生きていけると、ここで働いていた連中は信じていただろうか?まるで意味のない問いかけだった、そこで働いていた大半の人間がくたばっているだろういまとなっては、とくに…俺は意味を無くしてそこを離れた、そのとき正面玄関と建物を覆う鉄板との間に、僅かな隙間があるのを見つけた、足元にはその隙間を塞いでいただろう幅の狭い鉄板が倒れていた、その隙間の向こうにある窓は、鍵を失っているみたいに見えた、念のために辺りを窺ってみたが、野良犬すら見かけなかった、隙間に潜り込んで、窓を動かしてみた、それは難なく開いた、身体を持ち上げて、中に潜り込んだ、大昔から放置されたままの建物で、機械警備のある可能性は少なかった、廊下の壁にくっついていたキャビネットを足場にして、俺は潜入した、空気が意識を持っているような感覚だった、四方八方から、形のないものが俺のことを見ていた、そんな視線には慣れていた、事務室だの給湯室だの更衣室だの、あらゆる部屋のドアを押したり引いたりしてみたがどこも施錠されていた、叩き割る気はなかった、それに、窓からだいたいの様子は覗くことが出来た、ひとつひとつを確かめながら廊下の端にある階段を上ると、二階の壁や廊下、天井はすべて黒く塗り潰されていた、おそらくはそこにある部屋の中も、すべて…俺は面食らったが取り敢えず歩を進めた、階下と違いどの部屋にも何も表示されてはいなかった、俺は壁をしばらく眺めてみた、もともとある色を執拗に塗り潰したようだった、塗料が褪せた感じでもなかったが、最近のものにも思えなかった、いったい、何の目的でそんなことが行われたのか?船を作るのに真っ黒い部屋が必要だとでもいうのか?俺は造船には詳しくはないが、そんなもの必要なわけがないことくらいは判った、さて―二階の廊下の真ん中で腐ったような付近の海を眺めながら俺は考えた、どこかの部屋が開くだろうか?その部屋も黒く塗り潰されているだろうか?その時、微かな音を立てて一番遠い部屋のドアが開いた、誰か居るのかと俺は身構えたが、そこから誰も出てくることはなかった、躊躇したが、その部屋に向かって走った、こちらに真っ黒い背を向けて開いているドアの向こうへ回ると、そこだけ塗られていない部屋があった、俺は中に入ろうとして、慄いて立ち止まった、天井を走る頑丈そうな太いパイプに結び付けられた首吊りのロープが、こちらを向いて垂れ下がっていた、その後ろの姿見には俺が映っていた、鏡に映った俺の首のあたりにちょうど、ぶら下げられたロープの輪っかがあり…俺はしばらくの間呆然とそれを眺めていた、いたずらには思えなかった、この部屋にこれを作った誰かと、二階を塗り潰した人間は多分同じだろう、でもその目的を確かめるには少し遅過ぎたようだった、足元には何時からそこに居るのかもう判断もつかない、滅茶苦茶に散ばった一体の白骨があったのだ。



自由詩 ブラック&ホワイト Copyright ホロウ・シカエルボク 2016-10-22 14:36:18
notebook Home