爺婆に捧ぐ
ただのみきや

腰のまがった老人はめったに見なくなった
まがった腰で
ヨッコラショと 
風呂敷をしょった爺ちゃん婆ちゃんは
わたしが子供のころの爺ちゃん婆ちゃんだ
農村や漁村では今だって
腰のまがった老人は居るだろう
若い時分からずっと
腰を屈めて
たないだり
引いたり
耕したり
たぶん暮らしを立てるということは
腰を屈めて
重たいものをたなぐことなのだ


茄子や胡瓜を朝食べる分だけ採って
塩もみにしたり味噌汁の具にしたり
握るといつもヒンヤリしていたあの手も
朝から晩まで着けっぱなしの前掛けも
今のものよりずっと小さな箪笥の
引き出しに
足をかけて登ろうとする幼い孫を叱った
父や母とはどこか違う
こわいような 
やさしいような
あの声音も言葉も
遠く 疎らになって 


姿勢のよい老夫婦が
ショッピングセンターを歩いている
手のかかる年頃の孫を連れ
幸福についてまわる諸々の疲労を
穏やかに顔にしまっている
すべては良いことだ
そう思いたい
腰のまがった昔の老人も
腰のシャンとした今の老人も
生きることはいつだって大仕事で
楽しくて悲しくて
孫も可愛くてもう大変で
疲れてしまうものなのだろうから


十代の頃
三十歳まで生きると思っていなかった
二十代の頃はせいぜい四十までだと
死んでいるはずの年齢をとっくに越えて
夢ではなく生の事実だけが
皺となって刻まれて往く
だれもいない部屋でひとり
ツイストを踊ってみる
腰をまげて
低く 低く


              

             《爺婆に捧ぐ:2016年10月12日》

               「たないだ」「たなぐ」は方言で
               「持つ、担いだ」等の意味です。










自由詩 爺婆に捧ぐ Copyright ただのみきや 2016-10-12 21:01:28
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