にょいりんさん
白島真
そんな月夜のある晩に、私はいたたまれなくなって外に出たのだった
月はぼんやりと白く輝き、雲がかかっているのがはっきり分かる
「月に叢雲かぁー」 あたりはしんしんとして
電信柱さえ太い生きた樹々のようにぬっくと立っている
どこからか、にょいりんさぁ~ん、にょいりんさぁ~んと呼ぶ声が聞こえる
その声は男とも女とも区別がつかず、怖いともやさしいとも思えなかった
にょいりん?ニョイリン?如意輪?
何だか分からない声は、わたしのうちから出た言葉なんだろうか?
にょいりんさあ~ん、にょいりんさぁ~ん
にょいりんさあ~ん、にょいりんさぁ~ん
あいかわらず声は耳元でささやくように聞こえてくる
わたしはその声に呼ばれ寝静まった街をさまよった
どこから聞こえてくるのか方向さえわからないのに
何故か歩きつづけなければいけない気がしていた
にょいりんさあ~ん、にょいりんさぁ~ん
にょいりんさあ~ん、にょいりんさぁ~ん
みえない声にどこかで犬が感応して遠吠えを始めた
鳥が三羽、薄明りのなか、ざわざわとざわめきだった
黒い揚羽蝶が一匹、雲のあわいに吸い込まれていった
きょうは五十年も前に死んだ父の命日だったのだ