HOLE
ホロウ・シカエルボク



気まぐれでかたまりで買ったでかい肉を適当に切り開いて、塩胡椒ぶっかけて柄のガタついたフライパンでおよそこんぐらいだろうという程度に焼いたら皿に投げ落とし、適当に作ったソースでパクつくとまんざらでもなかった、高い肉だから当然だ、原始時代の人間にだって肉を焼くことぐらい出来るんだ―食える焼き方ならなんだっていい、一流ホテルのシェフだけが本当に美味いものを知っているわけじゃない…あいつらが作ってるのは料理さ、俺が作ってるのはくいもんなんだ、そういう違いさ―焼き方は良かったが焼く量を間違えた、半分も食わないうちに胃袋は軋み始めたが意地になって最後まで食った、そしたらなんだか腹に泥を詰め込んだような気分になった、なに、野生動物なら食えるときに限界まで食っておくものだ…そう、まさにライオンのように低く唸りながらベッドに横になって天井を見上げると、あの肉を買った店を思い出そうとしたが思い出せなかった、別にオカルティックな理由じゃない、本当にそれを思い出せなかったというだけのことで、その店はなにも異空間にある怪しい店なんかじゃない―どうして思い出せないんだろう、と俺は考える、あの肉を買ったときのこと、いや、買った日のことを頭から思い出そうとしてみたが、やはり出来なかった、どうして記憶が欠落しているのか…いくつかに分けて冷凍庫に入れてあったとはいえ、そんなに前のことじゃないはずだった、どうしてかって?―ここ最近肉を買ったのはその日だけだからさ―だったらなおさら印象深い日になったはずだろう、とあんたは言うだろう、そうなんだ、その通りなんだよな…だから俺はこうして必死になってその日のことを思い出そうとしているんだけど、不思議なことに全く思い出せないときたもんだ。いったいどういうわけだろうね?ほら、よくあるじゃないか、実はその日に自分の人生をがらりと変えてしまうような衝撃的な事件があって―そういうやつさ、たとえば、恋人が死んだとか、あるいは、殺したとかね―だけどもちろんそんなことはしちゃいないし、だいたい美味い肉を食おうってときに呼びつける相手も居ないんだから、そんな想像は間違っているとしたものだ、ではなぜ?考え方を変えてみよう…たとえば本当にその日になにかが起こったというのはどうだ?それは表面的には凄く些細なことなんだけど、どういうわけか俺の深層心理に深く作用して、記憶を捻じ曲げちまったんだ―それで思い出すためのきっかけみたいなものを根こそぎ頭の外に放り出してしまった―キース・リチャーズが窓からテレビを捨てるみたいに、げたげた笑いながらね―おかげで俺はこうしてベッドの上で、おそらく思い出す必要もないのだろうそんなことについて悶々としているってわけだ…悶々って表現はおかしいのかな?だけどそう、思い出せないものを思い出したいと思っているときっていうのは、性的に行き詰っているときとどこか似てるような気はしないか?例えば隣に覗き魔が住んでいたりなんかして、どうにもやりにくいなんてときにさ―いや、これは冗談、そんなことめったにあることじゃないもんね―そんな下品なのに行き当たるのはよっぽど運のない人間だろうさ、それはともかく―その日の朝のことからして全然思い出せないんだな、いつも通りコーヒーメーカーをセットして、コーヒーが出来上がる間にトーストを焼いて、ピーナッツバターをたっぷり塗りたくってさ―俺、子供のころからピーナッツバターが大好きなんだ、給食の時間なんかいらないやつから回収していくつものパッケージを机に忍ばせたものさ、それはともかく―そんな風に朝食をとって、いつものように散歩に出かけたはずなんだ、近頃俺のやっていることと言えばそんなことばかりでさ、それもこれも前の仕事ですっかり目を悪くしてしまって―まあそんなことはどうでもいいんだけど―きっと、本屋に行ったりCD屋に行ったりしてさ、ニュー・リリースのチェックとかしてたはずなんだよな…そうそう、飼ってる猫にはきちんと餌を与えてね―雨が多いよな?最近雨が多いはずなんだ、何回も靴を濡らしたからな、そう、だから…あの肉を買った日はどうだっただろうか?やはり雨が降っていたんだろうか?そんな日に自分がバカでかい肉を買う気になるとは思えないから、もしかしたら晴れていたのかもしれない…それが何日かくらいのことは思い出せればいいんだけどね、そしたらタブレットかなんかでその日の天気をチェックすることも出来るんだけどさ、そう、確か…そうだな、今月のことなのは間違いないんだけど―今月って何月だっけ?ああそう、そうなんだ、えっ?ってことはもうすぐ夏が終わってしまうってこと?おいおい、勘弁してよ、今年は数年ぶりに泳ぎに行くつもりだったのに…!結局一度も泳がないまま終わっちまうっていうのかい―ええと、最後に泳いだのはいつのことだったっけ―何年なんてもんじゃない、もう十年くらい前のことみたいに思える、ねえ、俺、今年幾つになるんだっけ…?




自由詩 HOLE Copyright ホロウ・シカエルボク 2016-09-27 01:10:28
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