メルシー
竜門勇気

さみしいね
神様はぼくらから
彼を連れてった
何もかもが残って
何も捨てれない今晩

霧が晴れて
遠くがよく見えた
袖を掴んで叫んだ
歩みは止まらない
約束でもしてたみたいに
約束でもしてたみたいに
まっすぐ

嘆きをわかちあう時間が
残り少ないと気づいて
遠くは近く見えた
ぼくらは袖を掴んだまま
昔話をやめたんだ

さみしいね
しかたがないね
どうしてなんだろうね
ステージ4
あのね
愛してるよ
メルシー・ボク
ささやきあうベッドの周り
垂直な青が刺さってる

あなたは目を覚ますと、昨夜までの痛みが夢であったかのように消え失せているのに気づきます。
心地よい朝の風がつかの間の涼しさを運んでくるでしょう。振り返ると大きな荷物を持った娘が声を上げます。
「お父さん!少しは荷物持ってよ!」
あなたは今日が家族で旅行に出発する日であることを唐突に思い出します。
あなたはポットに5人分のコーヒーを沸かすと、大きな伸びをしました。激痛があなたを襲うことはもうありません。
あなたの妻はタバコに火をつけ、なぜか優しく笑ってテレビの電源をつけます。
ゆったりとした綿のズボンとサラサラとしたチェックのシャツを羽織ると、あなたの足元に飼い犬と猫が戯れにじゃれついてきます。
5匹もの動物に組み付かれたあなたは素早く動くことが出来ません。あなたの義理の息子が猫を抱き上げますが、焼け石に水のようです。
のろのろとリビングを移動し何年も使い込まれくたびれた
しかし使い勝手の良いカバンを肩にかけます。黒く使い込まれた革の財布もまた、くたびれていますが
それがとても心地よいとあなたは思いながら尻ポケットにしまい込みます。
空港までの道のりを考えていると、すでにあなたの息子が車に乗り込んでいて、しわくちゃの地図を伸ばしながら道のりを確認しています。
あなたに不安はありません。ひたすら爽やかな空気があなたの肺を満たします。
今日の昼頃には札幌の町並みをレンタカーで走っていることでしょう。
あなたは病室で話し合った旅行のプランを思いかえします。一つ一つ話し合った綿密なプランは忙しない移動ととても美味しい食事に彩られています。


さみしいね
治るよきっと
治すんだ
じゃなきゃダメなんだ
そう思って
ずっと話してた

医者が最後の痛み止めを打って
それは5日後まで優しい眠りをくれた
その間ぼくは
ロールプレイを続けた
みんなで探した
あの旅館に泊まった
5人で部屋で
食事をとれて家族風呂って
結構少ないのな

富良野に行った
たくさん写真見てあそこを歩くって
みんなで決めたもんな
運河見てあっという間に終わっちまって
向かいの店の灯りを眺めて笑うって
思ってたもんな

定年まで働いて
最後の検診で
最初の入院から3ヶ月もたたねえで
雷の日に 大雨の日に

さみしいね
かなしいね
煮えたぎる胸の中を
知らないみたいに
肌は冷えている
やけに冷静で
そのかわり心が動いてくれない
似た者同士だ

霧はまた立ち込める
冬の朝の中みたいに
目が醒めそうで醒めない
不吉な世界

袖を掴んでいた手は
空を指している
ゆっくり左右に振る
歯を食いしばって
頬に涙を伝わせないように
うなだれたまま

あなたは岡山空港の駐車場を歩いています。この数ヶ月の想い、侘しさ、心残り、無念さ、そういったものは過去に去りました。
あなたは重たい荷物を持たされながら自分の車を探します。先に進んでいたあなたの妻が背中を丸めたまま手を上げ呼んでいます。
あなたの荷物は義理の息子に奪われました。あなたの足取りは嘘のように軽くなります。
7月の抜けるような青い空に、ミルクをこぼしたような雲が遠くあつまっています。日差しの鋭さより風の軽さがあなたを心地よくさせます。
トランクルームに荷物が積まれるより先に助手席に座り込んだあなたは、全開になった窓とぬるい風を吹くクーラーからの風を感じます。
決して新しい車ではありませんがあなたにとっては多くの時間を過ごした車です。しかし助手席に座っている時間は大変少ない経験といって良いでしょう。
駐車場の砂利をブチブチと音を立てながら車が走り出すと、少ない経験がこれから当たり前の日常になるだろうとあなたは予感します。
そしてそれはあなたが満足するまで続くのだろうと。
退屈な高速道路であなたはビールを飲みながら過ごします。あなたの妻や、娘、義理の息子、そして息子は口々に旅行の感想を話します。
あなたは少しその話に加わりますが、すぐに眠気に襲われます。あなたはその眠気に名残惜しさを覚えながらも抗いません。
それはこれから何度も思い出として話し合う事のできる話題だと知っているからです。

あなたは目を覚ましました。あらかたの荷物が運び出されたあとです。あなたは申し訳程度に紙袋の一つを取ります。
それはあなたが選んだ土産物です。あなたはそれを部屋に運び込むと、熱烈な5匹の歓迎に笑いながらその土産の栓を開けて5つのコップに注いで
その一つに口をつけます。そして何度も思い出として語り合うだろう話題を話し始めます。


自由詩 メルシー Copyright 竜門勇気 2016-09-20 02:45:52
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