キコエマスカ
あおい満月

(声がきこえますか)

白い壁に凭れて、
暫く目を閉じていたら、
誰かの声を聴いた。

(声がきこえますか)

空耳だと思い、
壁をはなれて歩きだしても、
声はついてくる。

(声がきこえますか)

うるさくなって、
「きこえませんよ!」と
怒鳴った瞬間、
焦燥感と、動悸と、
吐き気を感じて、
口から玉のような、
丸いものを吐き出した。
吐き出すとき、
微かに死を予感したが、
口から出た玉を手にしたとき、
この胸のなかが、
大きく動いた。

玉は温かかった。
温度がどんどん上がり、
熱くなった。
指がじんじんと痺れていた。
びきびきと音を立てて玉は割れて、
小さな少女が出てきた。
思わず声を発したとき、
少女はみるみる大きくなった。

少女は老女だった。
白い髪に白い服、
身体には幾重にも鎖が巻き付いている。
鎖にはいくつもの、
破れた地図のような手紙のような、
文字と絵が組合わさった紙が絡まっていた。

老女は私を見ずに、
私を見ていた。
開きかけた唇からは音が漏れて、
彼女は唄いだした。



海から引き上げられたように、
目を開けると、
全身がぐっしょりと濡れている。
そこはまだ夜も明けやらぬ部屋だった。
手探りで手にしたスマートフォンの
時間を見ると午前3時。
(あれはなんだったのか)
わからないまま水を飲み干す。

**

時間という道標には、
解明できない何かが隠れている。
まっすぐに歩いている道でさえ、
迷路になっていることもある。
いつものバスに乗り、
いつもの電車に乗り、
いつもの地下道を歩き、
いつもの信号を渡り、
いつもの箱に入り、
いつもの作業をする。
こんなごく当たり前の道順の先にさえ、
いつ躓いてもおかしくない罅がある。
その罅のなかに、
あの老女のようなものが、
潜んでいるのか。
あるいは、
害を与えない、
自身のうちにある、
孤独の背中の陰が。

外は、晴れていた。

(声がきこえますか)

(声がきこえますか)

まだあの声は、
壊れた目覚まし時計になって
私の海馬を齧っている。



自由詩 キコエマスカ Copyright あおい満月 2016-08-30 20:56:31
notebook Home 戻る