爆ぜているものは無数にあり、そのなにひとつとして伝言を残したりなどしない
ホロウ・シカエルボク
溶解する脳内の炉のなかで、失われてはならないものがあった、それは長く俺の中にとどまり続けたものだったが、思い出すことさえ出来なかった、脳下垂体の下部に据え付けられたそれは、終始俺の思考にきな臭いにおいを漂わせて…俺は首を垂れながら遅い夕飯を食べていた、どこかで買ってきたそれは悪い味じゃなかったが…呆然としていて現実の重みは感じなかった、だがそれはくいもののせいじゃない、それが判っているからこそ俺は呆然と顎を上下させている、咀嚼は祭典の空砲のように片っ端から浅はかなものを飲み込んで、胃袋は心許ないものでめいっぱい膨れ上がる、胡坐をかいて…こぼした米粒が組んだ脚の間でどこかへ消えて行くんだ、きっとそれは二度と戻ってこれないところで腐敗して…灰になって消えて行くに違いない―カーテンを引いていない窓には夜が張り付いている、それはゴムシートのようにずっしりと張り付いて窓枠を軋ませている、今日は暮れ時から雨が降って、それからずっとあたりには湿気が充満している、星もなく…といって星など見たいわけでもないんだが…食事を済ませて水を飲みほすと、そんなことは初めからなかったというような時間が始まる、そんなことは初めからなかったんだ、お前は食事などしなかった、本当の意味で食事などすることはなかったと、脳味噌の中のきな臭いにおいに紛れて囁きかけるものが居る、そういうことはもういいんだ、と俺はそいつに言う…「俺はそいつに言う」―そういうことってなんだ、とそいつは答える、初めからなかったとか、そういうことはどうでもいいんだよ、と俺は答える…もう俺は意味を求めて生きることはやめたんだ、と俺は少し話す気になって続ける―答えなんてものは、あると思うほど馬鹿になるものだ、それに気づいたから答えにこだわるのはやめたんだ、そんなものは、すべての現象を泳がせておくほうが時々おぼろげに見えるものさ、でも、それ以上追いかける必要はないんだ、そこで明確な答えを出したところで、それは通過駅のようなものなのだから…お前は答えが臨終の床にしかないと考えているのか、とそいつは笑い飛ばしながら言う、裏返すことを想定してそんな話をしかけているのだ―なあ、判らないやつだな、お前、と俺は言い返す、そういうことはもうどうでもいいんだって俺言っただろ…だいたい臨終の床のことなど今この時点でどうこう言えるものか…逃げるのかい、とにやにや笑いながらそいつは言う、いや、と俺は答える、そんな問答に何の意味もないって、俺は判っているのさ、だから関わらないんだ、と言ってやる、だがそいつはなんとかして俺にその話を続けさせようとする、でも、はっきり言って仕掛けが下手過ぎるんだ―下らない話を無視して下らない雑誌のページをめくる、下らない話に比べてそれなりのノウハウや技術というものがあるから、それは下らなくてもある程度タメになる、判るかな?ある種の流通物を、下らないと切り捨てるのは簡単なことだ、でも、それを拾い上げて学ぼうとすれば、何かしら受け取れるものはあるものだ…それを限定するものはつまり、頑固なわけでもストイックなわけでもクレバーなわけでもない、ただでかい面をしたいだけの馬鹿野郎さ…現象を限定してすべてのものが見えたつもりになるなんて、見当違いもほどほどだ、俺は明かりを消して眠ることにする、寝床に横たわり、死体の真似をするみたいに脱力してみる、そうして脱力していると決まって、長いあいだ忘れていたどうでもいい記憶を思い出す…思い出したところで特別感傷に浸るようなものでもない記憶だ、それはいつでもそうだ…思えば俺の中にはそういう記憶がたくさんある、誰にとっても、俺にとってさえ、まるで覚えている理由が判らない記憶だ―あるロッカーがインタビューでこんなことを言っていた…「忘れるというのは才能なんだ、忘れることが出来ない人間と言うのは、気が狂うんだ」なるほどねと思ったよ、だから俺はこんな時間にこんなものを書いているんだろうな―そう、だけど、そんなことやっぱりどうでもいいことなんだよ、だいたい正常だの異常だの…それって、誰基準なのかね―?俺は欠伸をする、そうすると脳内の溶解炉が稼働を止める、長い長い時間をかけて炉の中のそれは冷やされ、そうなるとしんとした静寂だけが残る、溶けるものは騒がしいのだ、俺は目を閉じる、瞼の裏側には溶けて行ったものたちが飛ばした飛沫が、ひどい火傷となって残っている…。