苦しいときほどいい歌に出会う
はだいろ


これから、残りの人生の時間が、
どれくらいあるにせよ、
読める本の数や、聴けるレコードの数を、
どう埋めてゆくのか、ということについて、
これから、すこしずつ、すこしずつ、
考えていきたいと思う。


昨日は、1枚だけレコードを買った、
10%引きで一万六千二百円のブラジルオリジナル盤だ。

今日も、1枚だけレコードを買った、
同じく10%引きで六百円くらいのアニメ(キャンディキャンディ)のドーナツ盤。
これは娘に買ったのだけど・・・

子供のうちに、なるべくたくさんの歌を覚えていることは、
素晴らしいことなのではないかと思う。
ブルーツゥースで飛んでくる音よりも、
黒いレコードの回転をじっと見つめる方が、
実在として大事なのではないかと思う。
娘はキャンディキャンディの歌で踊った。


ぼんやり考えたのは、
ぼくの人生の中で、出会った歌には、本当にかけがえのない歌がいくつもあるが、
それは、
その歌そのものが、歌として優れているということではなく、
文字通りかけがえがなく、
ある瞬間、ある時間の中で砕けでいたこころの断面と、
どこかで生まれてどこからか流れてやってきた歌とが、
息を止めて正面衝突したということであったと思う。

苦しいときほど、いい歌に出会う。
そしてそうやって出会った歌は、やがて血となって肉となって、
ぼくの細胞をいくらかの角度で、ある方向に変える。


生きることは苦しい。
だから、歌がいつも生きている。
最近は、年のせいか、
軽くて気持ち良く聴けるような音楽が好きである。
若い頃は、ヘヴィであれば何でもよいようなところがあったのに。
リオオリンピックはもう終わったのだろうか。
そういうわけでぼくはこの頃、ブラジル大好きである。






自由詩 苦しいときほどいい歌に出会う Copyright はだいろ 2016-08-21 21:06:01
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