影のこと
はるな

うちからみて駅は西の方角にあるので、夕方、娘をベビーカーに座らせて帰るとき、影は向かう方へながく伸びる。坂を二つ上り、二つ下る道程の真ん中ほどで、ぱっと視線がひらける場所があるのだが、日が沈むまえにそこを通ると、むこう側の丘、住宅が密集しているところへ夕日がさんざんあたっていてきれいだ。
一日は相変わらず一日で、一週間も、ひと月も、ぶつぶつ切って綴じられる。
六歳のころ、みのまわりを自分のものでぐるりと囲ってから遊ぶのがすきだった。ごはんよ、と声をかけると、娘が椅子のまわりに気に入りのおもちゃを並べるのとおんなじで。さっきしたことみたいに覚えている色々のこと、幼稚園でしたヒヤシンスの水栽培、影のところの子のはうまく根が出なかった、園庭の裏(小学校と隣接していたのでつまりそれは校庭の裏でもあった)にどくだみが一杯に茂っていたこと、卵のパックで工作をした、朝顔でつくる色水とか、桑の実や木苺のある「ひみつのところ」、上履きのすりきれるところがいつも同じだったこと、「秘密ね」と打ち明けられる数々の公然、背が低いから、大きいほうの鉄棒にいつまでも手が届かなかった。でもそこにいたわたしより、いまは娘のほうがきっと近い場所にいるのだ。
それはちょっと愕然とする発見だ。
わたしはいまどこにいるんだろう。

家から出たいと思ったことはあんまりなかった。結婚して夫と暮らすようになっても、さいしょのうちはばたばたして頻繁に実家へ戻っていたし、そもそもそのすこし前から家には朝がた眠りに帰るような生活をしていたし。それから引越しをして、そのあともう一度住む場所がかわって、ここにいる。どこにも根付きたくないかもしれない、かといって結婚するまでいた土地にそれほど愛着があるわけでもなく、ただ、ここのひと、になるのがこわい。そうすると、もう一歩も動けないまま、全部ほんとうになってしまう、と思う。
ほんとうになってしまうのはこわい。こわいこわい、と思って過ごしていた一日からわたしを守っていた娘の魔法は、でもまだぜんぶは解けずにくるぶしのあたりに残っていて、どうしようもなくうずくまるときにだけ頭を撫でてくれる。



散文(批評随筆小説等) 影のこと Copyright はるな 2016-08-08 15:50:13
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