嗜好は変化しない
ホロウ・シカエルボク


化石の埋もれる地下の回廊のひと隅の寝台の上で太古の記憶を移植されたような目覚め、血流はゆっくりと流れ、そのうねりが内耳の奥でうっすらと轟いている、そんな目覚めだった、時は気化しない雨粒のように降り積もり、巨大な集合に変化していく、一面にモザイクタイルがちりばめられた断崖の壁面のように、三次元の限界に挑むみたいに、その澱みない蓄積の感触の中で朝はプレスされて、意識は厚さ数ミリの布切れになって漂う、それは回転体となって行きつくあてのない独り言のような風切り音を立てている、習慣的に流し込まれたトーストが疎ましげな目つきをして胃袋へと緩慢な落下を続けながら、小麦のころの記憶を弄っている、トーチカの裏側で散乱している兵士の死体のような埃が咽喉の内側を突き何度も乾いた咳をする、そんな咳を続けているといつか、なにもかもを取り違えて生まれてきたオオトカゲであるかのような錯覚にとらわれて舌を伸ばしてみる、なにかを捕らえられるほど長く伸びたりはしない、また、粘度の高い唾液もそこに付着してはいない、いいかい、気の迷いだ、もうそれ以上そのことを気にすることはない、取るに足らない錯覚だ、なによりこの検証そのものが人間じみて理屈っぽい、そんな風に結論を求めるオオトカゲなど存在しない、もっともオオトカゲのようなものの考え方をする人間は腐るほど居るけれども、どちらにしてもお前に関係のあることじゃない、思考の隅へ追いやって差し支えない、雨の日には体内で何かが穏やかに咆哮し続けているような気がする、太陽を焦がれて駄々をこねるみたいなそんな声を上げている気がする、頭の中で梅雨前線を捻り潰す、もちろん現実的な効果などあるわけがない、でも現実的な効果だけが精神や肉体にとって効果的だというわけでもない、インストルメンタルが流れている、言葉を必要としない、それは仮眠のような瞬間でもある、いつまでも留まることは出来ないという意味でも、放っておくと眼球はいつでもワーズ・オブ・ワンダーをスコープに捕らえようとし続けてしまう、頭を殴りつけて気絶させておくしかない時もある、アタッチメントを必要としない欲望は際限なく昂り続けてしまう、起きている間閉じたままになることはないまぶた、力を抜くにはちょっとしたコツがいる、昨夜のメイン道路に散らばっていた車の破片、十代の男と女が徹底的に死んだと聞いた、あれは何かの用事で電話をしてきた友達のネタだったな、携帯電話のアドレスはここ十年更新されていない、注意深く漁れば削除すべき何件かは見つかるかもしれないが、そんなことが気にかかる瞬間など人生にはほとんどない、例えば眠れない夜などに気まぐれに行われたりするものだ、どうだってかまわない、そういえば昨日何故あいつは電話をかけてきたんだっけ?数年ぶりの電話だった、そんな電話をしてくるくらいだから余程の用事があったに違いないのだけど(少なくともそいつにとってはそれなりの要件だったはずだ)、まるでそれについては思い出せない、きっと、徹底的な死について考え過ぎたせいだ、徹底的に死んだ魂は、肉体を離れたあとどんなことを考えるのだろう?(ああ、これは無理だ、もう絶対に生き返れないのだ)と納得しそうな気がする、それは幸せなことなのかもしれない、なまじ穏やかな顔で逝ってしまうよりはずっといいのかもしれない、だけどそんなものは自分で選択したり出来るものじゃない、死ぬほどの怪我をしても生き返って来るヤツも居る、かすり傷も残らないような暢気なことで、あっけなく死んでしまうヤツも居る、「人間は頑丈なのか脆いのか判らなくなりました」世界一間抜けな詩人の言葉だ、あいつが本当に言葉を発した時俺は笑っちまった、それで電話の要件は何だった?そのことはやっぱり思い出せない、結局俺にとってそれは必要なものではなかったのだろう、正直ヤツの声さえいまでは曖昧なものだ、雨の音はいつの間にか聞こえなくなっていた、肉体の中で吠えていたなにかも声を潜めた、インストルメンタルの時間はおしまいだ、俺が求めていることのほとんどはビートなのだ。


自由詩 嗜好は変化しない Copyright ホロウ・シカエルボク 2016-06-24 17:36:38
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