ばらの家のこと
はるな


からだが重たい。
しばらく贅肉をぶら下げて生活していたらすっかり肩が凝ってしまった。

家から駅前公園までの道には「ばらの家」がある。庭いっぱいに薔薇棚を作ってあって、さらにいくつもの鉢それぞれにちがった色の薔薇を植えている。最初に花を咲かせ始めたのは棚の南向きの一群で、それは桃色の大輪だった。鼻のおくがくすぐったくなるような濃い匂い。それからすこし遅れて赤から橙へのグラデーションの美しい薔薇が咲き、白いフリルのような薔薇が咲いたと思ったら壁につたわせた赤いちいさな薔薇も満開になっていた。風の日に吹雪のように舞う花弁をむすめが喜んで拾う。
いまはみんな散ってしまって、公園の斜面の紫陽花が少しずつ色づいている。いまはまだあおじろい紫陽花たち。

そとに出るときは右手に五つ、左手に四つの指輪をする。時間があるときは髪をできるだけ複雑に編んでまとめる。むすめを抱くようになって、できるだけかざりのない洋服を選ぶようになったかわりに。触ればささくれだつような鋲のついた上着や、脱ぐのにも着るのにも人の手を必要とするブラウス、身体の線より細く締め付けるようなジーンズは、まだみんなクロゼットにはあるけれど。それは何よりもわたし自身だと思っていたから、つるりとしたTシャツをきた自分のほうが遠いように感じる。贅肉ごとそういうのを着ているのだと思っていた。でもそうではない、肉はわたしだし、鏡をみるのがいやになったのもほんとうはわかっているからだ。祖母にも、父にも、太った今の方が良いよと言ってくれたけれど、納得していない。
なぜだろう。お化粧をしたり、武装のような恰好をしたり、いつも自分から離れていくような行為を重ねて自分になりたがっている。それは滑稽なことだったろうか。


ばらの家は、いまはつやつやした緑の葉で覆われている。



散文(批評随筆小説等) ばらの家のこと Copyright はるな 2016-06-02 11:26:38
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