ヘビトンボ
ただのみきや

光が濁っている 
花粉のように
ここは
朝なのか
もうずっと前 
愛した
あの誰でもない……誰か 
夜の湿り 
かさねた翅 
月の淡い幕に覆われて 
昨夜のことか
精をささげ 
空っぽの殻だけが

触覚は震えている
記憶の
なにかを手繰っている
なにか
なにかが
ああ
仲間がいた
灯りに群れ
夜気に舞う
誰も彼もが
歓喜の匂いに酔いしれて
触覚は震えていた
逢いたい
もういちど
空の殻へ
乾き切る前に
手繰ろう
微かな匂いの糸
空気の混濁と波動を
仄暗い樹々の葉裏
水辺の葦の頂き
凹凸のない石壁

あの蜘蛛の巣に
よく似た姿
経帷子をまとい
抱かれながら
死だ
死が見つめている


 *****


ああトンボたち
水辺の葦の頂き高く
素早く風を切り裂くもの
輝く翅を持つものよ
仲間たち

 
《トンボ》

  誰だ
  気味の悪いやつめ
  おまえヘビトンボだな
  ヘビトンボはトンボじゃないぞ
  あっちへ行け
  なんてノロマなんだ
  トンボを名乗るな
  あっちへ行け
  このやろう!
  アカネの首を斬りやがったな
  やっつけろ
  殺してしまえ
  おーい ヤンマ
  来てくれ
  やっつけろ



昼の光の土砂降り
熱に喘ぎふらふらと
ただふらふらと
非力な翅で
空の空を扇ぎ続け
当てもなく
逃げるのか
硬い翅が
かみ砕く強力な顎が
激しく
ぶつかり
憎しみと侮蔑が
襲ってくる
傷つき破れ
襤褸になって
ただふらふらと
逃げるのか
仲間ではなかった
強者たちが
この異物を追うのに
飽きるまで


 *****


あれはカゲロウ
風に浮かび
舞い踊る
夏の夕べの妖精たち
ああ同胞よ
まぎれもない
同胞たちよ

  
《カゲロウ》

  ああヘビトンボさん
  こんばんは
  ああそうですか
  そうですね
  困りましたね
  困ります
  わたしたちの夜会には
  あなたはちょっと
  ほらなんて言うか
  大きすぎるって言うのか
  いで立ちがその
  不格好って言うのか
  違い過ぎますよね
  わたしたち
  同胞ではないと思います
  どう考えてみても
  ちょっと そんな乱暴は
  誰か助けて!



美しいものたちよ
わたしを拒むか
醜い故に拒むのか
闇に震えて
踊り続ければいい
ささやかなその命尽きるまで

この容姿が分かつなら
どこへ往こう
トンボでもなく
カゲロウでもない
どこにいる
仲間はどこに

そうだ
山へ
奥深く
同じ名を冠する
種族の偉大な王を探そう
空の殻へ
乾き切る前に


 *****


ああ栄光
ヘビよ
種族の偉大な王よ
あなたこそ
孤独な者の父
あなたに逢いに来たのです

  
《ヘビ》

  おや 
  この空気の味
  ぬるみ具合
  どうやらきみはヘビトンボだね
  なあにわかるさ
  目は悪いけどね
  舌でぺろりと見分けられる
  きみが来た理由も
  なにを求めているかも
  ちゃんと知っている
  安心なさい
  今まで随分ひどい目にあっただろう
  トンボからもカゲロウからも弾かれて
  仲間に逢いたいのだろう
  わかるさ
  いやいや 預言者ではないよ
  きみより長生きしているだけさ
  悩めるヘビトンボはみんな
  最後はわたしのところへ来る
  これまで何匹来たことか
  言っておくが
  わたしはきみの仲間ではない
  だけどがっかりしなさんな
  仲間の居場所なら知っている
  すぐに案内してあげよう
  まず目をしっかり瞑って
  準備はいいかな
  では



闇の中
風が身を包む
目を開けても
濃い闇が続く
遠く
微かに
蒼白い灯りが見える
なまあたたかい洞窟
進む
奥へ
あれは
あれは
仲間たち!
おなじ姿
おなじ顎
仲間たちが身を寄せて
重なり合い――
――強い匂い――
力が抜けて往く


  
《仲間たち》

  おや新入りが来たようだ
  ようこそ最後の楽園へ
  きみもいろいろ大変だっただろう
  ここにいるみんな同じ憂き目にあったのさ
  こうして最後の時を
  ヘビの腹の中でゆっくり
  仲間と一緒に溶けて往くって訳だ
  驚いたかい
  でもね
  考えてごらん
  外で暮らしてもあと一日か二日
  交尾後の雄なんてそんなものさ
  おまけに外には鳥にカエル
  カマキリに蜘蛛にスズメバチ
  おれたちノロマは恰好の餌食ってものさ
  ヘビの旦那は気を利かせて
  毎日一匹蛍を飲んでくれるから
  こうして互いの顔を見て
  慰め合って死ねるってものさ
  どういう理由か解らないけど
  からだが溶け始めて
  ヘビの胃液と混じり合うと
  なんかいい匂いがしてきてね
  あたまがぼーとして
  気持ちいいというのか
  うふふ蕩けるっていうのか
  ちっとも恐くないの
  死ぬのなんてね

  おい
  どうした
  そんなに慌てて
  外に出たいだって?
  よしなよ
  わかっているだろう
  ろくなことはないよ
  ここで一緒に死のう
  仲間だろ


《ヘビ》

  おや
  きみは珍しいね
  外に出たいって言ったやつは初めてだ
  ところできみはどうなんだ
  自分の食べたものを一度だって
  吐き出して逃がしてやったことがあるかい
  ないだろう
  そんな事は普通はない
  普通はね
  だけどきみは運がいい
  実は知り合いと賭けをしてね
  いやいやこっちの話さ
  本当に出たいのかい
  よろしい
  あの楡の木の下に放してあげよう
  まったく運がいい
  口を空に向かって開けるから
  さあ月明りを辿って行きなさい
  ほら



悲しい仲間たち
自由より
夢見心地の
囚われの死か
どれほど孤独でも
空っぽに
殻になるまでは
月の光を浴びて
涼やかな夜気を扇いでいたい
樹々の甘い吐息
闇に流れる愛の歌
ああ美しき生命
美しい――
あれは
誰だ?
月空に寝そべって
微笑んでいる
精をささげた あの……

違う
腕が
あれは


  
《女郎蜘蛛》

  よくきてくれました
  こんな女郎の宿へ
  あたしはこの楡の枝に住む者
  ヘビの旦那とはお隣さんなのさ
  暴れてもとれはしませんよ
  あたしの褥はね
  どんな翅の方も虜にするんです
  ヘビの旦那が
  「ヘビトンボなんて奴は
  いちど胃袋に落ち着いたらもう
  出たいなんて言うやつはいない」
  なんて言うから あたし
  「もし出たいって気骨者がいたら
  あたしの宿の下に放してくださいな」
  そうお願いしたんです
  卵を産むのに精をつけたくて
  精だけじゃない 
  旦那の生きようっていう強い意志が
  生まれてくる子どもたちを
  きっと丈夫な
  間引くものからも逃れられる
  強い大人にしてくれることでしょう
  ありがたいねえ本当に
  嬉し涙が出るほどさ
  ありがたいよ
  いただかせてもらうね
  惚れ惚れするよ
  ありがとう
  ありがとう



ヘビよ
なぜ騙した
なぜ弄ぶ
自由を約束しながら
蜘蛛の餌に差し出すなんて
なぜ苦しめる
ヘビめ
偽りの父よ


  
《ヘビ》

  別に騙していないさ
  言っただろう
  「楡の木の下で放す」と
  きみが浮かれて真っすぐ月へ上ったから
  気が付かずに網にかかったのさ
  強い風でも吹いたら無事だったかもな
  だけどきみは油断した
  油断したものは食べられる
  それが現実 世界の仕組みさ
  ここまで生きて交尾もすませたきみは
  特別に優れていたのか
  それとも特別についていたのか
  とにかく幸せに長生きした訳さ
  きみも水中にいたころは多くの命を食べただろう
  餌を逃がしてやったことはあるかい
  ないだろう
  それは正しい
  わたしたちはなぜ食べる
  生きるためさ
  では なぜ生きる
  子孫をふやすためか
  否 そうじゃない
  誰かに食べられるためさ
  多くは卵の時に食べられる
  一握りの運のいい者だけが孵化をし
  そのほとんどが大人になる前に食べられる
  残りは寿命を全うして
  死骸を誰かの餌にする
  みんな誰かの餌なんだよ
  それがこの世界の仕組みさ
  このわたしだって生きて喰われることもある
  死んでから喰われることもある
  わたしが死ねば
  カラスが喰う
  シデムシがオサムシが
  ナメクジが多くの蠅が
  そして数えきれないほど蛆がわいて
  わたしをすっかり溶かしてしまう
  その数えきれないほどの蛆だって
  蠅になるのはほんのわずかさ
  蛆を目当てに別の虫が押しかけて
  ほとんど食べてしまうからね
  みんな誰かの餌なんだよ
  自分の子孫を増やすためなんて
  手前勝手な幻想さ
  考えてもみな
  ヘビトンボだけ食べられないで子孫を増やしたら
  ヘビトンボの餌になる生き物は食べつくさる
  そうするとヘビトンボも飢えて死ぬ
  ヘビトンボを食べていたやつらも飢える
  ひとつの種だけの繁栄なんて
  世界を危うくするだけなのさ
  もっともそんな生き物もいるにはいるがね
  きみはわたしの食事にならず
  女郎の食事になった
  女郎の卵たちのためにね
  役に立つって訳さ
  悪いことじゃない
  きみはめったにいない幸せ者さ
  これ以上なにを望む
  死んでから蟻に喰われたいのか
  どのみちきみの寿命はせいぜい今夜いっぱいさ
  それなら喰われてやりな
  蜘蛛は案外上品に食事をするんだ
  生殺しのまま蟻にバラされるよりずっといい



もう長くはない
わかっていた
ただあの
月の静かな
呼びかけに
体液が滾り熱を帯び
無数の翅々が舞い駆け
逆巻いて
歓喜が嵐のようだった
二度と戻らない夜
追いかけていた
あの仲間たちと同じだ
過去を夢見ながら
落ちて往くだけの飛翔だった
あとは死が
残されただけの

受け入れよう
ああ
それにしても
おまえ
美しい
どこか
似ている
精をささげた
あの
あれと
腕の数が違うが
抱きしめてくれるか
苦しくない
刺すのか
その牙で
ああ
痛くはない 
そんなに
ぼんやりしてきた
毒が
回る
気持ちいいような
不思議だ
いろいろなものが
交じり合い
溶け合って
自分が薄められて往く
あたまの中
闇が 
滲みてきて
消えるのか
こんな大きな月
光の源へ
落ちているのに
闇が満ちて
溢れて
悪くない
きっと
生も
死も
わるくないことだ
なにもかも
きえて く
きえて
きえ





      《ヘビトンボ:2016年5月28日》

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%93%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%9C

  









自由詩 ヘビトンボ Copyright ただのみきや 2016-05-28 22:30:29
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