ビューティー・メッセージ
カンチェルスキス




「酒たばこシンナー遊びは身の破滅」
 いきなり飛び込んでくる。誰も見向きもしなくなった看板だが、私にはぐっと来た。
 交差点、ちょっとしたバスの待合所がある。何度も通った道にも関わらず、この看板を意識したことはなかった。
 誰が見るんだろうか。こう言ったほうが正確かもしれない。この看板のメッセージを読んで改心するやつなどいるのだろうか―。
 
 愛車を走らせる妻子持ちの男が、信号待ちの際、ふと看板を見つける。開いた窓から、タバコの先っぽだけ見えている。妻には『車の中は禁煙』と注意されているが、これぐらいなら構わないだろう、と煙を吐いていい気になっている。ところが、そのとき、何となく見ただけの看板の言葉が飛び込んでくる。そんなはずじゃなかったのに、急に罪悪感が湧いてくる。
「オレ、そろそろやめようと思ってたんだ、酒とたばこ」
ふと、彼は助手席の友人に呟いた。久しぶりに再会し、カキの食べ放題で満腹になった後、これからボウリング場に向かう車中だった。
「おまえもか?」
 驚いた友人に、彼は心情を吐露する。学生時代からの付き合いだが、悩みを打ち明けたことはない。一人抱え込み、頑張ってしまう子だった。
「うん。悩んだんだけど。このままいったら、身の破滅だよ」
 煙のせいか、悩みの深さのゆえか、彼の顔は苦渋に満ちている。灰皿にタバコを押しつぶす。
 いきなりの打ち明け話で驚いたが、やけに明るい青空を見上げ、友人も頷く。
「ああ、身の破滅だ」
 さっきまで下ネタの下品な笑いに包まれていた車内だったが、それから二人とも妙に黙り込み、40キロ制限を守って、午後二時の日差しをまともに浴びる。ボウリングへ行くのはやめ、見晴らしのいい山の展望台で昔話を語り合おう―。共に良い友人を持った喜びを二人は嚙み締めていた。
「身の破滅」
 というこの言葉に、私は地鳴りのような響きを感じる。

「酒たばこシンナー遊びは身の破滅 経験者語る」
 実際に、それらに手を染め、身の破滅を経験した者の叫びだ。仕事も、家族も、ペットのトイプードルも失った。身も心もボロボロだ。確かなのは、何とか息をしてることと、お天道様だけまだ正気だってことだけ。ずいぶん遠くまで来た。この世でたった一人とはこういうことなのか。独り言さえ言い始めた。せめてこの自分の経験を誰かに伝え、一人でも多くの悩める魂の手助けになりたい―。なぜなら、本人だけではない、その人の周囲には本人以上に悲しんでる人間がいるのだ。
 こんなことぐらいしか自分にはできない。それこそが、自分がこの世に生を受けたたった一つの意味らしきものなのかもしれない。ゴミ捨て場で拾った文字の消えかかった看板に、どんなことがあっても手放さなかった父親の形見のマジック『極太マッキー』を握り、彼は力いっぱい書き記す。意識はない、もう一心不乱だった。
「酢を垂らすと、思いのほか、焼きそばはさっぱり仕上がります 店主敬白」
 うっかり彼はそう書いてしまった。定食屋を営んでた頃の記憶が、ふと、蘇ってしまったのだ。
 ちょっとしたバスの待合所の隣まで這うように進み、看板を立てかけると、彼は力尽きた。いや、ただ眠っただけかもしれない。安らかな表情だった。
 その横には、偶然にも、もう一枚の看板が立てかけられていた。まだ新しかった。
「朝散歩ラジオ体操は美の秘訣 60代女性」
 みんなに知ってもらいたくて、彼女は夜中、それをこっそり置いた。






散文(批評随筆小説等) ビューティー・メッセージ Copyright カンチェルスキス 2016-03-27 20:41:16
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