貼り紙世界の果て
カンチェルスキス
「誠に勝手ながら…」
とくれば、こう続くのが世の倣いである。
「○○日と○○日は、お休みさせて頂きます」
大型連休、盆休み、正月の他、不定期で休むときなどにも、よく見かける。こんな貼り紙を見ると、私は必ずこう吐き捨てるようにしている。
「勝手だな!」
常連客でもないのである。ただの通りすがり、こんな店があったのか、と初めて気づくほどのうぶな関係性である。
事情は知らない。例えば、細々と営む駅前の薬屋夫婦。一人娘の出産が早まった。立ち会うため、店を連休にした。初孫である。オイルショックのときも店を開けた。嫁の出産のときも、一人店を守った。一徹な主人の矜持である。ためらいはあったが、決断に後悔はない。待望の初孫ゆえである。
「誠に勝手ながら、今日と明日はお休みさせて頂きます」
とペンを置いてから、主人は何だか物足りない気がした。生まれてくる元気な初孫を想像した。自分はおじいちゃんになるのだ。その瞬間、誰にも見せたことがないとろけた笑顔が浮かんだ。想像妊娠ならぬ、想像おじいちゃんである。高まった感情ゆえに、こんな一文をつけ加えてしまった。
「初孫がじぃじと呼んでくれるまで、ええい、休みだ!」
そしてその通りに書いた。能面のような貼り紙が、ひときわ感情豊かになる一瞬である。
昔からの常連客は多少困ったが、すでに初孫のかわいさを知る同世代である。「達ちゃんが言うんじゃしかたねぇや」と誰も文句は言わない。この貼り紙に、主人の正直な心情が垣間見え、道行く人も微笑んで通り過ぎていく。
しばらく前に、ある道を歩いてると、こんな内容の貼り紙を見た。
洒落にもならないが、フン害に憤慨している、というのである。ガレージ前に、犬の糞をさせるやつがいる。車庫入れのとき、タイヤが糞を巻き込んで、中に入ってくる。本来、ないはずのものが、だしぬけに存在感を放つのである。
「ガレージがクサくなって困っています」
率直な心情吐露である。とにかく、困惑ぶりが伝わってきて、住人の青ざめた顔まで浮かんでくる。ただ、やめろ!とは言ってないのである。『犬のくそ、持って帰れ!』、『ふん、さすな!』などの直接的な表現になりそうなところを、あえて踏みとどまっている。「困っている」といい、暗に『やめてくれ』を匂わせている。ここらへんを奥ゆかしいか、波風立てたくないけどこのままじゃクサくなる一方だし…という複雑な心理を読むか、たんに小心なだけだ、と受け取るかは、人によって異なるかもしれない。
二度見した後、私の口角が上に。
全国津々浦々、各町内のあちこちに掲示板が設置されているものである。そこには、防犯キャンペーンやリサイクル市のお知らせ、子育てサロン、剣道部員募集のチラシ、冬になっても、夏のラジオ体操の案内が残されたままになっていたりする。掲示板の前にじっと佇んで、顕微鏡を覗くように見つめている人は、それほど多くないはずである。たいてい素通りして、人々の日常は進んでいく。時期はずれのポスターや案内は風雨のせいで画鋲が抜け落ち、カーテンのようにはためいていたりする。選挙ポスターと同じ運命である。それさえも、日常に溶け込み、わざわざ顧る人もいない。
一方、ごくまれに、釘付けになってしまう案内と遭遇することもある。そのとき、私はぼんやり歩いていた。空も同じようにぼんやり鉛空だったのである。ふと、町の掲示板に目がいった。
「○月○日○曜日、溝堀」
と一枚書きされていたのである。ソフトボールぐらいの文字の大きさで、太字の明朝体っぽい書体である。習字の秀作のような出来栄えで、堂々としていた。朱筆の花丸があってもおかしくなかった。ぼんやり歩いていた私の目が覚めた。
「○月○日○曜日に、いったい溝堀が何をするのだろう―」
急に気になった。その瞬間、私は溝堀のミステリーにはまったのである。
「きっと、その日、溝堀がこの町内において、何かやらすかのだ―いや、おっぱじめるのか―」
そもそも、溝堀は町の厄介者だった。少年時代、町対抗のソフトボール大会で、病欠した者に代わって出場したとき、サードを守ったが、打球をまったくキャッチしようとしなかった。溝堀によれば、「転がってるボールを見てるのが好きだから」と全部、見送ったのである。清々しいほどだった。打つほうは打つほうで、忍者のようにバットを構え、忍者への憧れを隠そうとしなかった。もちろん、打席も試合結果もペケである。なんでかわからないが、あらゆる局面で、溝堀はそんなふうだった。そのことに苦悩し、うなだれて歩くわけでもなく、ポケットにいくらかのきなこ棒があったら満足げな様子だった。きなこ棒は彼の大好物だったのである。
そうやって、憎まれこそしないものの、町内ではちょっと浮いた人物として、溝堀は住民から認識されていたのである。
その溝堀が、○月○日に何かやらかす―。どこからか噂を聞きつけた誰かが、掲示板を始め各電信柱に『溝堀対策』のため、あの一枚書きを貼ったのである。ただ、溝堀が何をやらかすかは、住民たちの誰も知らなかった。何かやらかすということだけは広く知れ渡っていた。浮雲のような男が、何者かに感化され、よからぬことを企ててている。そんな流言すら飛び交っていた。一枚書きの太字の明朝体に、住民たちの不安と緊張感がにじんでいた。一週間前から、溝堀の姿が見当たらなくなったのも、住民たちには不気味だった―。
歩きながら、人はいろんなことを考えるものである。
掲示板を過ぎ去って、次の電信柱に、
「○月○日○曜日、溝堀」
とさっきと同じ一枚書きを見つけたとき、私ははっと目が覚めたのである。ほんとに目が覚めたように感じたものである。溝堀=ドブ掃除、と閃いたからである。ドブさらいと呼ばれることもある、面倒くさいあれである。
町内の決まりごととして、定期的に行われる行事なのだろう。あの一枚書きは、住民への周知だったのである。
謎解きは凡庸な答えに落ち着いたが、私の中の溝堀熱は消えなかった。
「溝堀は、見かけによらず、油の中の唐揚げを素手でつかんでも平気―」
というのも、実家が中華料理屋で、その手の作業に慣れていたからである。
架空の物語の中で、溝堀が一人歩きしていく―。
私が暮らすずっと以前に、その橋は架かり、私の見知らぬ人たちを往来させていた。その橋を曲がってすぐに、掲示板が設置されていた。何度となく通った道だが、そこに掲示板があることすら、一度も気づかなかった。気づかせてくれたのは、一人の野球少年だったのである。
夕方、通りかかったとき、一人の少年が川のフェンスに向かって、ボールを繰り返し投げていた。跳ね返ったボールをかっこよくキャッチし、また投げた。溝堀とは大違いである。ただの戯れの遊びでないのは、私にもすぐわかった。彼は熱心に野球の練習をしていたのである。
―ところで、よく跳ね返るフェンスだな―たいていのフェンスはむしろボールの勢いを吸収してしまいがちなのに―。
そんな悠長なことを考えながら、私は橋を曲がった。案内やポスターもない、のっぺらぼうな掲示板が、そこに立っていた。さっきから野球少年の熱のこもったボールを受け止めていたのは、これだったのである。おそらく、十数年前にはすでに、掲示板としての役目は終わっていたに違いない。新しい案内やポスターが貼られることも今後きっとないだろう。今度は、ただの壁として、熱のこもった野球少年のボールを跳ね返す新しい役割を得たのである。掲示板の進化形である。
私が通った後も、野球少年は練習を続けたに違いない。振り返るまでもなかったのである。
「そう言えば、俺も子供の頃、近くの河川敷の草野球場で、近所のあんちゃんたちと、ぼろぼろのボールで毎日バッティング練習したな―」
と、回想してみせる私に、野球少年だった時期などないのである。沈む夕日の美しさが勝手にそう思わせたのである。なぜか溝堀に心惹かれるのである。