また眠りの終わるときが来るように
ホロウ・シカエルボク











すべてにはぐれたまま
失われた魂は
どこへ帰るでしょうか
あなたが
安らかに眠るあいだ
ぼくは
夢を見たでしょうか
雨のせいで三月にしては肌寒い夜に
表通りの喧騒を聞いている
繁華街に近いこの窓は
明け方近くまで
口を瞑ることはありません

あかりをつけたまま
寝床のなかでこの詩を育てている
眠るつもりがないほうが
眠れるのではないかと思って
もし眠れずとも
眠るつもりのない夜は
眠れない夜よりも幾分は短いものです

この頃よく
食事のことや
入浴のこと、それから
散髪のことなどが気になります
いっぱいにしても無くなってしまうもの
きれいにしても汚れてしまうもの
整えても乱れてしまうもの
しかも
それらのことは
あっという間に変化していくのです
賽の河原の
石積みのようだと思います
どれだけ積んでも
鬼に
壊されるのです

ひとは
確信など持ちません
持ったふりをして
安心しているだけです
人生と向き合えば
それはかなわぬものなのだとすぐに判ります
生きてるあいだは食べ続けなければならないというように
それは手に入れたそばから失われていくのです
けれどやはりまた食べなければならないように
それを手にしようとし続けるのです

とは言え
よい食事をするのと同じように
よい確信の得かたというのももちろんあります
それはほどよく得るということです
すべてを飲み込んで溜めようとせずに
ひとかけらふたかけらを飲み込んでいけばいいということです
二度目の食事には
一度目の食事も含まれます
明日の食事は今日の食事と
同じでは
ないのです
たとえ
まったく同じものを食べたとて
それは
同じではないのです

飲み込んだもののすべては
身体に
影響を残します
良い影響も
悪い影響もあります
それは例えば
よく眠れたり眠れなかったりと
そういった現象を起こしたりします
欲しいものを求めることが
正しい結果を手に入れる手段として適当でない場合があります
そしておそらく
そうした結果に終わることのほうがずっと多いのです
ほら
見渡してごらんなさい
やみくもに腹に詰め込んでしまうひとたちが
いかにたくさん居ることか!

ぼくは時折真夜中に交差点に出て
阿呆のように浮かれたひとたちを眺めます
かれらは本当に楽しそうに声を上げながら
おもに南の方角へ帰ってゆきます
かれらが本当に楽しそうにしているのは
人生について考えたことがおそらく無いからでしょう
ひとはひとでなくても生きてゆけます
もともとは獣ですから
いまとなってはずいぶんと窮屈になってしまった本能のままに
獣のように生きることだって簡単に出来るのです

すべてにはぐれたまま
失われた魂は
どこへ帰るでしょうか
あなたが
安らかに眠るあいだ
ぼくは
夢を見たでしょうか
ぼくは
真夜中に詩を育てます
あかりをつけたまま
横になった寝床で
またひとかたまりの賑やかさが外を通り過ぎて
車がいくつか走り過ぎます
すべての人生において
これといったものは




とくに
ありません













自由詩 また眠りの終わるときが来るように Copyright ホロウ・シカエルボク 2016-03-10 01:45:21
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