沈丁花
吉岡ペペロ

 岡村隆史のオールナイトを聴きながら御苑トンネルをぬけて甲州街道を飛ばしていた。飛ばすといってもお客さんにありつかなければならない。左側に気を付けながら繁治はダッシュボードに目をやった。
 さっきコンビニのまえに停めて休憩していたとき、弁当の匂いがのこらないように助手席の窓を全開にしていた。すると歩道からなにかいい香りが入ってきた。
 車から出てコンビニの明かりをたよりに匂いのもとを探していると、歩道に植わっているツツジみたいな緑からしているのがわかった。緑のおもてに蕾の粒がたくさんついている。昆虫の卵のようにも見える。眺めまわしていると、それは薄い黄緑いろであったり、紫いろであったりして、いい香りはどうやら紫いろの蕾の粒がひらいてできたちいさな白い花から発せられているようだった。
 昔から知っている匂いだ。けれど繁治ははじめてその香りと花を一致させたのだった。
 繁治はその花をひとつかみ取った。そして車に戻りダッシュボードにぱらぱらとまいた。
 岡村隆史が低い声でだらだらと話している。静かな雰囲気が好きで普段はラジオ深夜便しか聴かない繁治だったが、岡村隆史の日だけはオールナイトを聴いた。ファンという訳ではないけれど、彼がテレビに出ているのを見ているといつもなぜか恥ずかしいような気持ちになった。ひとりごとを誰かに聞かれているような気恥ずかしさだった。
 ダッシュボードのちいさな花は暖房ですぐに干からびた。車を停めてそれを掃除しようと思っていたら左前方に手をあげているスーツ姿を見つけた。ハザードをつけ、ウェットティッシュでダッシュボードを拭いながら、繁治はお客さんに車を寄せていった。
 客が忙しない感じで行き先を告げた。それから、「夜遅くまでご苦労さんだねえ」と繁治をねぎらってきた。昔雀荘仲間だった男によく似ている。恰幅がよくて頭が良さそうなお客さんだ。
「深夜のお客さんなんて、ややこしいひと多いんじゃないの?」立て続けに話しかけてくるお客さんに繁治はあっと思って、
「お客様、申し訳ありませんがお客様のご安全のために、シートベルトの着用をお願いしております」
 そう言ってから慌てて会社名と自分の名を伝えた。
 まだ花の香りが残っている。それをまぎらわせるように、
「ややこしい方っていうのは、車載カメラをつけるようになってから激減しましたね」
 だいぶタイミングが悪かったが繁治は話を戻した。
「面白い話とかないの?」
「面白い話ですか、このまえ自称富裕層って方をお乗せいたしましてね」
 夜勤のあとペアの青山くんに話したときわりと受けた富裕層の話を繁治はお客さんにした。
 働いていないのに年収が一億以上なければ富裕層ではないそうだ。コンビニのおにぎりを食べたことがないというのも富裕層の条件らしい。コンビニのおにぎりなんてものは、お客さんのことを思って時間をかけて作られているはずがない、というのが理由だった。このまえ入れ歯を買おうとしたら一番高い入れ歯で五百万のものまでしかなくて腹が立って仕方がなかったんだという。
「そんな安いもの口に入れられるかよ」
 繁治ははじめ、この自称富裕層の話を半分疑って聞いていた。富裕層ならタクシーなんか使わないだろう。でもこの言葉があって繁治は考えを変えた。
「富裕層ってのはもう、難民と一緒なんだよ。納得いくお金の使い方ができるんなら、ぼくは幾らでも出すけどね。でもないんだよ、だから難民みたいなもんだよ」
「私なんかは、羨ましいですけどねえ」
「人間ってのは、生きてるってのは、結局個体だろ。ひとりの人間がいまつけれる宝石にしても、いま胃に入れる食いもんにしても、だから時間だってそうだ、有限だろ、限度があるだろ。金が幾らあったところで知れてるんだよ。だから納得のできる金の使い方を探して、ぼくはさまよってるのさ」
「じゃあ、年金なんていらないですよね」
「いらないよ、断りたいよ。でもぼくは社会保険料なんてほとんど払ってないんだけどね」
「そんなこと出来るんですか」
「簡単だよ、自分の会社に何十億も貸し付けてその利子を懐に入れてるから。利子収入には社会保険料がかからないからね」
 富裕層はそれからフェラチオの話をした。「女が何人いたところで、ちんぽこひとつに口ひとつ、それにフェラチオって実際痛いじゃない、歯があたってさ。金があるってのは、フェラチオみたいなもんなんだよ」
 繁治は聞き流しながらフェラチオになんかに興味はないと思った。押し入れのなかの姉のことを思った。あんたがいらないとか言ってるその年金のために、俺は死体を隠してるんだよ。




自由詩 沈丁花 Copyright 吉岡ペペロ 2016-02-22 22:53:38
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