恢復
葉leaf
病を得て復職してからも、私はしばらく長いトンネルの中を歩き続けた。私の関心は己の傷ばかりに集中して、社会や人間に対する根本的な不信がぬぐえなかった。些細なことで傷ついては暗澹たる気持ちになり、自分は理解されていない、疎外されている、そんな気持ちでいっぱいだった。そういう社会や人間に対する対抗心で、私はかろうじて生き延びた。
私の視野はトンネルの闇の中に限られてしまっていた。そこを通り過ぎるたくさんの車たちも、ライトで私を傷つけながら、高速で逃げ去っていくばかりで、私を包み込んだり励ましたり理解したりということは全くなかった。私は己の傷というトンネルの中で、ただ、またどんな被害に襲われるかわからないという不安で恐々としているだけのみじめな人間だった。
だが恢復は時間とともに訪れた。病を得て8か月くらいたったころだろうか、徐々にトンネルの外の明かりが見え始め、いつの間にかトンネルを抜け出していた。広がる視界に圧倒的な明るさ。私はようやく地上の通常の風景の中に帰還したのだった。通り過ぎる車たちも親しく、運転者の顔もよく見え、心が風景の広がりとともに膨大な容量を獲得した。私は社会の仕組みを大方理解した、と同時にもはや傷つかなくなった。陽のもとに暴かれた者たちは、すべて取るに足りなかった。私を脅かすものはもはや何もなく、なにもかも広々とした風景の中に溶けてなくなってしまった。
トンネルの闇の中からトンネルの外の明るい風景へ。それだけの脱出行にはただ時間だけが必要だった。時間が私の枢軸にできてしまった亀裂を縫い合わせていく、そこに一つの飛躍があり、亀裂が亀裂でなくただの傷跡に変わったとき、私は時間の愛によって再び光と広がりの中へ連れ戻されたのだった。この時間という際限のない慈愛に、わたしは際限のない感謝を捧げている。