だから音楽の心臓には悪魔と天使が棲んでいる
TAT
はじめに鳴り響いたのは赤ん坊の鳴き声だった
ギャアギャアと泣く赤ん坊を抱きながら困り顔の母親がふたり
辻の西と東からやって来て
仲間意識の親近感で何となく会釈しながらすれ違いざまに
ふたつの鳴き声が上と下で美しく重なったのだった
不意に
その後音楽家が
三つの鍵盤を同時に鳴らす事を発明した
泣き止ませるために歌が必要なのだった
本当は踊りの方が良いが
両手で抱きながら踊る事は出来ないから
声色だけで踊る為に
歌を発明したのだった
弔う時に
涙がこぼれないように
空を見
愚かに騒がないように唇と咽喉を他の事に使う必要があった
そうして歌が生まれた
何しろその頃は日常の会話や雨の音
鐘の音 戦争の時に人を殺す声
真夜中の女の音ぐらいしか無かったから
弦楽器や鍵盤の音はそれはもう特別だった
みんなが日曜日には教会へ行った
歌は讃美歌になり
鎮魂歌になり
愛と平和を歌い飽きた若者は
耽美な衝動や
瀟洒な旋律や
背徳に遊んだ
ブルースが生まれ
ジャズが生まれ
ロックが生まれ
カントリー
フォーク
パンク
ボサノバ
ラテン
レゲエ
ヒップホップ
昭和歌謡
スカ
マンボ
ヘビィメタル
テクノ
天使は清らかに人生の喜びを囀る
日曜日の朝に
悪魔が鮮やかに怒りと憎しみを焚き付ける
土曜日の夜に
けれども
どこからどう
さかのぼっても
全てはあの辻に立ち返る
ふたりの天使と悪魔とが
西と東から来て鳴きながら交わったあの辻に舞い戻る
我々は皆おしなべて音楽の奴隷でしかない
今までも
これからも
iPhoneのBluetoothにワイヤレスイヤホンを認識させる
プレイボタンを押すとやがて自転車をこぐ僕の耳には音楽が流れてくる
カールトン・アンド・ザ・シューズのフォワード・エルサレム
1976年の曲だ
次がトッカータとフーガ
1705年頃の曲さ
だから音楽の心臓には