あおい満月

カレーやシチューのなかの、
人参を退けるように、
誰もこの胸のなかの、
核心に触れてはくれない。
鋭い針は持っている筈なのに、
射し込む場所を間違えている。
それはそう、
嘗てのあの人もそうだったから。

*

思い出すのはいつも、
夏の海と古いマンションの居間だ。
あなたは眉間にいつも皺を寄せながら、
私に解読不能の難解知識と説教を
繰り返した。
あなたは小学校の頃の、
私がよほど気にくわなかったのだろう。
当時、漫画ばかり描いていた私の算数の点数は50点未満だった。
国語より算数が得意だったあなたは、
私に向かい、
「いいか、今度こんな点数を取ったら、
漫画は全部処分し、頭を丸刈りにするからな!」
案の定、
当時の担任の評価の辛さが災いし、
私の算数の成績は年間通して1だった。
(頭を丸刈りにされる‼)
恐怖におののいた私は、
当時のあの人と同じ歳の担任に、
泣きながらすがった。
(お願いします!お父さんを止めてください!私、坊主にされる‼)

たまりかねた担任は、
私の家に電話を入れて、
あの人を宥めてくれた。

あの人、私の父親は、
私だけが知っている場所で 、
嗄れた愛に溺れていた。

**

(ふうちゃん、
いいかい?お願いだから、
一生懸命勉強してくれ。
そうすれば黒岩のおばさんだって
よろこんでまた
美味しいものを食べさせてくれるから)

あなたは愛人の家に向かう度、
私にそう説得した。

黒岩のおばさんとは、
あなたの愛人の名前だ。
私とは2、3度会ったことがある。
なかなか腕のいい美容師で、
土地成金だった。
あなたはそこに目をつけた。
あなたは愛人の黒岩のおばさんと過ごしたベッドの上で私を撫でまわした。

(ふうちゃん、太ったね?ダメじゃないか。太るとはバカになることだぞ)

自分だって、
身長が171しかなくて、
体重は85以上ある超肥満のくせに、
よく言えるわ。

母親と同じように鼻で笑いながら、
私はどんどんあなたから離れていった。

***

あなたがあの老女に逃げた理由も、
解らないわけではなかった。
いつも、
私の母方の家系からは、
「Hさんはどこの馬の骨だか、
わからないやっかいもの」呼ばわりされ、
私の母親の母親からは、
「バカ野郎!」と怒鳴られ、
あなたは心の拠り所をなくしていた。
だからあなたは、
あなたを労り、享受してくれる人を探していた。

私の母親との離婚が成立した、
私がもうすぐ高2になろうとしていた、
ある休日の車のなかで、
あなたは私に、

(いいか、ふうちゃん、これからはセックスは良いが子どもは作るな)
だった。
私は浅はかなあなたに愕然とした。
小学校の頃、
あれだけ再三勉強勉強と言い続け、
私はあなたに従い、
高校からは実力次第で難関大学へ行けるという進学校に推薦で入ったのに、
最後の最後が、
何がセックスだ、
もっと他の言葉があるだろう、
私は白い壁に何度も何度も、
赤い血をぶつけた。

****

あれから20年。
私は未だ、
セックスが怖い。
あなたのせいだ。
あなたが、
ねじ曲がった愛を私に教え込んだから。
私は齢、今年で36。
あなたが私をもっとも支配した年齢に差し掛かる。

お父さん、
私はあなたを赦していません。
私は未だ、
朝陽か昇っても、
細い瞳を開けられません。
この見えない鎖を、
どうほどいてくれますか。
私の胴体にぐるぐるに巻き付いた、
重く見えない鎖を。


自由詩Copyright あおい満月 2016-01-18 22:58:07
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