轍のこと
はるな


坂の多いところに引っこしてきて二月になる。暖かすぎる冬にもようやく雪が降った。じきにみぞれに変わって重たくぬかるむ轍をばちゃばちゃ言わせるのが楽しいらしく、膝の下あたりまで濡らして娘があるいていく。
次の春がくると娘は二歳になり、その少しまえにわたしが二十八になる。娘と来た二回の春夏秋冬はどれも美しい季節だった。もちろん今も。背のひくいわたしでさえかがまないと手を握れなかった時期はすぎて、いまはそれも振りほどいて走っていく。もちもちした玉みたいな走りかた。ときどきしゃがんで目線を合わせると、あんまり見えかたが違っておどろく。そうして思う、娘をとおしてわたしをすることはできないし、わたしをとおして娘をつくることはできないのだ。ときどき、娘をわたしの希望する通りに歩かせたくなる。でもそれはたぶん健全なことでないと感じる。わたしの背はもう伸びてしまった(あんまり高くはならなかったけれど)。
娘から、赤んぼうのころのしぐさが少しずつ失われていくのも同じことだ。そのかわりに彼女は力強く走ったり泣いたり、ドアを開けることができる。失うことはこの先もせつないことに変わりないが、それを悲しみすぎないようにしよう。食べ物みたいにいないようにしよう、と昔おもった、どこにも属さない、ともおもった、でも、いつどこで思ったのかは忘れてしまった、思ったことは覚えているけど感じたことは忘れてしまった。どこにも属さない、というのを、(あるいは今も感じていることだとしても、それは以前とはやっぱり違うのだ)。
みんなどこかへ行ってしまった。わたしもまたここへ来たのだし、娘だってほんの三年まえにはいなかった。
轍をあるいていく。ただしさについては、しばらく忘れておく。



散文(批評随筆小説等) 轍のこと Copyright はるな 2016-01-18 18:03:40
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