夜更けの紙相撲「かけがえのないもの」
そらの珊瑚
弓道の防具で、右手にはめる革製のてぶくろみたいなものを「かけ」と呼ぶらしい。弦を引く際に、主に右手親指を保護するためのものであるとか。
その革は子鹿のものであることが望ましいそうで、かけとなりうるのは、そのほんのいち部分、子鹿一頭でひとつのかけしか作れないときく。
想像するに、戦国時代など、武器であった弓の的中率は自分の命を左右するものであったわけで、かけの善し悪しは重大な意味を持ったことだろうし、自分の手になじんだかけは、他にかえのないほど大切であったことだろう。
「かけがえのない」という言葉の由来は、その「かけ」からきているという説も、うなづけてしまう。「かけ」の替えはない→かけかえはない→かけがえはない
子鹿の命と引換えて作られた「かけ」は他に替えのないほど大切ということか。
自分にとってかけがえのないものを考えてみる。なくなっては困るかもしれないけれど、あきらめがついたり、しかたないと思いつつも替りになるものがありそうな場合がほとんどだ。そうやってなんとか折り合いをつけていくのが人生ともいえるかもしれない。まだ人生を始めたばかりの幼子でも、冬のくもった窓ガラスに今日描いた絵が、ほどなく消えてなくなるのを知る。がっかりするかもしれない。泣くかもしれない。今日の幼子にとって、それはかけがえのないもの、かもしれない。けれどまた明日も同じように、その小さな指で絵を描くという選択肢は残されている。
生きている自分、という、自分なりの答えのようなものにたどりつく。
自分の命は自分でしか生きられない。他の誰にも変わってはもらえないし、他の誰かを生きることも出来ない、そうして命がなくなってしまえば、替え、はない。
あたりまえのようだけど、かけがえのない、は、目に見えないから忘れがちだ。
かけがえのないほど大切な命、たとえば自分以外の命だって、永遠ではない。
永遠ではない世界の中で、また新しい年が始まる。答えだと思っていた地点から、ふたたび問いが始まる。
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