花びらなら土に帰す
アラガイs


寒さが増せば増すほど秋に植え替えた植物たちの悲鳴が気にかかるものだ
邪魔な雑音に慣れた耳が他人から発せられる温もりに感じられるように
そして居住する家賃も安くなれば怪しい人物が住み着いてくるのは致し方ないと教授は言う。
何事も吸い込み過ぎては良くない
あたりまえなことだがこの鏡のような世界を眺めていると、事実奇妙な人間ならいくらでも存在するのだ。

一階に越してきた子連れの夫婦は十五歳くらい年が離れ、若い女の方は栗のような大きな瞳に色白な肌をしてはいるが、けっしてふくよかな体型だとは言い難い肉の付き方に見えた。なによりも前屈みに肩をすぼめて歩く、その姿勢が肉の表面をだらしなく見せるのだ。
それもそのはずで、3DKとはいえ一日のほとんどをこの狭く仕切った部屋から出ようとはしないようだ。たまに外出するのは小学校へ自転車で子供を迎えに行く午後の三時から四時くらいまでで、そのときに夕食もついでに買っているのだろう、にぎやかなテレビの音だけが薄い窓の奥から消えることもない。
よく学校から帰ってきた女の子のけたたましい笑い声が聞こえてくる。そんなときは決まって時間どおりにオヤジが仕事から戻ってきたときだ。この四十半ばを過ぎたバッタのような尖った顔の持ち主はときに嫌な匂いを発散させる。
女は昼間めったに掃除機の騒音をさせることもないし、夜ボイラーが沸き上がる音も部屋からはしない。このオヤジと子供が夏場になるとパンツ姿で自転車置き場をうろつくのは、一体この親子連れはいつ身体を洗っているのだろうかと疑いたくなるくらいだ。
外気も暖かくなればテレビとともに薄壁を反響してこの親子連れの耳障りな馬鹿笑いが聞こえてくるのには、またアパート住民の憂鬱を誘うことだろう。他人の目線が気にならないぶんだけ彼らにはそれで幸せなのだ。
それにしてもこの枕のような女はめったに声を出さない。
真夜中から朝方にかけて虫の絶命に発せられる妙な奇声があがるとき、このバッタの一物が白いぶよぶよとした肉の襞を押し拡げるからだろうか?
同じ一階で向かい合う年寄りの母と息子連れの部屋からは、その度マタタビを焦がすような匂いが煙りとともに鼻を差し、お経のような念仏が何かを叩いては流れてくる。きっとこのアパートに住み着いて離れない悪霊か何かの仕業だと思い込んでいるに違いない。ネットに引きこもる息子の顔を見たのは二度ほどだが、年老いた母親の方はいたって元気な様子で、夜明けをまえにすると決まって台所でごそごそと大きな音を出しては部屋を出ると昼前には戻ってくるようだ。よくドアを開けすれ違う度にわたしの鋭敏な鼻はその煙りの匂いにやられる。私は急いで部屋に戻ると身体から階段口までを消臭してやる。渇きを邪念に奪われないように警戒するのだ。

今日も足音を殺しながら別居している女房が二階に上がって来るのだろうか。この夫婦が同じ時を一時間と二階で過ごすことはない。男が二階に戻ってくるのは夜遅くいつも一人で夜を過ごす。夫婦とは言っても入れ替わりドアを開けて出て行く音しかこの二人についての関わりはないようだ。
その不自然さをよそに何故か幸せな気分に感じてしまう自分が情けなくもなるが
、近所のスーパーに買い物に行くと入り口に置かれた小鉢の植物たちがいつも気にかかる。
水やりはちゃんとしているのだろうか
今日は誰かに買ってもらえればいいのだがと
、そんなことを思いながらいつもやり過ごしてしまうのは、この部屋から流れ出る温もりには他人の匂いがしないからだろう 。
寝起き時には窓を開け大きく深呼吸をするのが日課になった 。









自由詩 花びらなら土に帰す Copyright アラガイs 2016-01-15 05:41:52
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