煙突と月見うどん
nonya
重たいドアを押して外に出ると
階段を数段上ったところで
思わず立ち止まる
百貨店の屋上は
すっかり様変わりしていた
複雑な段差を組み合わせた
明るい色調のウッドデッキ
オリーブ色のパラソルの下には
上品な曲線を交差させた
乳白色のテーブルとチェア
たじろぎを隠しながら
休日の紳士の歩調で歩き出す
がっかりはしていなかった
むしろほんのりと昂揚すらしていた
もうこの場所には
ケチャップとマスタードにまみれた
アメリカンドッグをつまみにして
生温いビールを飲みながら
買ったばかりの文庫本の紙カバーに
不機嫌な顔で気障な言葉を書き殴る
そんな勘違いした奴なんていないのだろう
ウッドデッキの優しすぎる感触に
靴底が慣れてきた辺りに
ホテル系の売店が立ち並んでいたが
メニューを横目で見ながら足早に通り過ぎる
隙間を埋めてくれるものは何も無かった
屋上の一番奥のどんづまり
子供の乗り物がいくつかあったスペースは
小洒落た屋上庭園になっていた
中央には睡蓮の池があり
ささやかな橋が渡されていた
橋の真ん中に立つと
巨大な煙突が真正面に見える
青空の尻を突く真っ白な煙突の下は
区の清掃工場になっている
かつてその場所には
日本一の温水プールがあり
冬場はスケートリンクに姿を変えた
夏休みと冬休みの日記帳のネタであり
いくつかの想い出も作ったような気もするが
もしかしたらただの妄想なのかもしれない
やれやれという感じで踵を返し
逃げるように出口へ向かっている時
「讃岐うどん」の懐かしい暖簾が目に入った
なくしたジグソーパズルのピースが見つかった
慌ててすがりつくように列に並び
月見うどんを注文した
巨大な円形テーブルの端で
うどんを一口すすって頭を上げる
真正面には真っ白な煙突
もう一口すすろうとして
うっかり箸の先で月を破いてしまう
どんぶりの中の月明かりが夕焼けに反転して
もはやこれは月見うどんではない
仕方なく夕焼けをすすって頭を上げる
真正面には真っ白な煙突
いや
オベリスクか
最後まで月を残せなかったという
どうでもいい後悔をすすって頭を上げる
真正面には真っ白なオベリスク
いや
墓標か
月と月明かりと夕焼けと感傷と天かすが入り混じって
すっかり正体不明になったどんぶりの中から
うどんのようなものをすすって頭を上げる
真正面には真っ白な墓標
いや
やっぱり
フレンチトーストにしとけばよかった