暗転の種類
ホロウ・シカエルボク
脳髄に出来た亀裂から饒舌な空虚が垂れ流される夜だ、信号はどこかに、信号はいつもどこかに…アンテナのないところで途切れる、雨を待つ空は紗幕のように奇妙な光を放ち…まるで着地点のない独り言のようにぼんやりとしている、使い道がなくなったまま放置されている低い電信柱に取り付けられた外灯は明るく照らすためのものではない、いまここは夜なのだとはっきり知るためのエッセンスに過ぎない、靴の踵を上げて歩き出すがいい、そこには歌うべき言葉など落ちてはいないから…(受信されなかった電波は消え行くときになにを思うのだろう?)ポケットにつっこんだスマートフォンから流れているFMラジオはもうずっと無味乾燥な流行歌ばかりで、まるで紗幕のこちら側に居ても輪郭を掴みきれない古い亡霊のようだ、ほんの僅かの間雨が降って―上がり、電源に繋がれた冷蔵庫内のようにあたりは一気に冷え始める、呆然と立ちすくんだまま樹氷になる幻想を頭の隅に見ながら、帰路はいつでも保証なんかしてはくれない、代わり映えのしないものはいつでも新しいページを捲ろうとする腕を引っ張るものだ、それは知る必要がない、覚える必要などないと…ほんの数ページのお題目だけで、誰もが生きていけるんだって―そんな余計なものをすり抜けて、初めてきちんとした夜のように変貌した空は、スタン・ゲッツのサックスのように穏やかに居住いを整えていた、フォー・ビートの暗幕だ、雨のにおいはじきにしなくなり、靴音の反響は古いビルの壁面を駆け上っていく、それはまるで俺から離脱した俺の魂の欠片、俺の魂の亡霊―俺の魂の欠片が浄化するのを俺は見上げている、ようやく、夜の面持ちを取り戻した、フォー・ビートの頭上を…ああ、そして、雨の肉片、ガラス窓に、自転車の篭に、社屋ビルの花壇に、捨てられた週刊誌に、残った雨の肉片、雨のにおい…止んでしまえば嘘のような…夜の街角は、夜の路上は、たったひとりを見つめるためだけにあり、たったひとりの死を、たったひとりの生を、たったひとりきりのためにある色味を、ひとつ残らず知るためだけに―風は震え上がるほどに寒く、星は真正面から見た針のように鮮やかだ、メイン道路のひとつ北、幾分下がったところに隠れるように流れる川のそばを、題名を思い出せない歌をハミングしながら歩いた、コカ・コーラとビタミン・ドリンクの空缶が澱んだ流れの中でフラつきながらリズムを取り、それは気紛れに通り過ぎるエンジンの音に半分掻き消えながらしばらくの間続いた、澱んだ流れが暗渠に消えるまで…過去はあいも変わらず瞬時に死別していく現在で、そいつらには腐敗する暇すらなく、そのほとんどは見落とされたまま、在ったのか無かったのかすらろくに認識されることはなく―ただ概念的な死体のようなものが舗装の荒れた路面に転がっているだけで…だから夜には時計を見ない、正確に時を刻む文字盤を眺めることはない、それは死別の数を数えるようなもので、そして間違いなく時の概念よりも確実に、脳髄に、肉体に、精神に刻み込まれていくからだ、瞬きは臨終の音を奏でるし、呼吸はもうないもののにおいを嗅ぐ、鼻面に人参をぶら下げられた馬がそれを追いかけて走り続けるみたいに、夜に真っ当な路面を踏み、眠ることを忘れて彷徨い歩く…生はない、死はない、ただ歩く足があるだけ、たとえいまが真昼だろうが…微かなにおいを、微かな足跡を、追って―そうさ、それが誰のものなのかなんてことは、とりあえず置いておいて…行くべきだと感じる場所を嗅ぎ取るだけさ、魂は彷徨うものだ、向かうべき先の名を知らぬことが正しいのだ、通過する地点で、通過する地点で、勝手にすべては決定されていく、そこにどんな感情も存在する必要はなく、読後感のように残っていく塵を、拾って―夜と朝が巡り、昼に呆け、下らない時間のテレビのようにザッピングされ続ける、理由もないし気構えも要らない、必要なものは残っていくし不必要なものは切り捨てられていく、ただただ面倒くさい選択肢が次々と現れることもある、でも簡単なことだ、どれかを選べばいいだけだから…交差点でどちらに進むか決めるように…夜明けが来るころには部屋で眠りに落ちているだろうか?それともまだ歩いているだろうか―ずっとずっと空虚は垂れ流されている、失われた空間は死を迎えるための準備じゃない、そこに生を注ぎこむための準備なんだ……