きみが火事でも助けない
ユッカ

告白をされた。なかったことにしてしまった。他人の恋愛感情がいまだによくわからずにいる。衝動はいつも軽薄だ。すこしのことばも交わさずに、ただ相手を好きだと言う、あなたのなかにある僕を、見つめてみる。その顔は、写真の中の自分を見るように遠く、なつかしい。けれど同時に、あなたのなかにある、僕という存在のどうしようもない軽さに土ふまずがギュンとしなるような切なさにおそわれる。幸福になることが、ほんとうはもっと簡単でいいはずだ。いいはずなのに、僕は、僕はかたくなに、


立ちあがったときに目に入った磨りガラスの淡くきらめく

そのたゆまぬうつくしさ
目がくらみそうになるよ
デザイナーズの食器も
古本屋で買った感じのいいポスターも
こんな午後には形無しなんだ

きみが僕のことを見ているなんて、そんなこととっくに知っていた
きみが僕の名前を呼ぶときにこもる熱の意味も
ほんとうはぜんぶぜんぶぜんぶ知っていたけど
たとえば冬の煮こみ料理の途中で
火をつかっていることを忘れたまま放置して
まちがえて火災報知器を鳴らしてしまったときの
あの瞬間
ドアを開けたときの煙がきみなんだ
輪郭のない真っ白なものにつつまれて
数学の方程式とか
シャワーの湯加減とか
そういうの
もう何もかもよくわからなくなってしまうんじゃないかって
不安なんだよ

あの嘘つきが消えてからしばらく
とりかえしのつかない静けさで満ちている
この家の中で唯一
すべてを台無しにできる
きみの情熱を見過ごしたい
なあきみの声が聞きたいんだ
このドアのむこうの部屋で
僕の名前を一生呼びつづけていてくれ
そうやっていつしか僕を忘れて
やさしい光の差す庭に帰り
あたたかな記憶の一員として思い出してくれ
それしか望んでいないんだ
それしか望めやしないんだ
でもあの日僕を望んでくれた
きみをその部屋に置き去りにすることが
この上もなくひどいことに思えてならない


自由詩 きみが火事でも助けない Copyright ユッカ 2015-12-20 23:19:11
notebook Home 戻る