(3/3)伊勢うどんをマフラーに
吉岡ペペロ

 夕食を終えてベッドにふたりで寝転びながらあたしはアーヤを見つめた。夫婦岩、パワースポット、伊勢うどん、野球少年たち。そう言えば伊勢のひとびとはみんな親切だったな。なんかみんな喜んでいるようだったな。観光地ってそんなものなのかな。
 この旅での出来事をアーヤへの視線にかさねていけた。
 新幹線で名古屋に着いてからJRで伊勢に入った。車窓からの景色は思っていたより工業地帯、かと思えば田園だった。あたしはアーヤの頬や首のうしろにずっと手を当てていた。ハロー、ハロー、あたしはアーヤに信号を送る。家に来た専門家が触れ合うことから会話が始まるのだと教えてくれたからいつもそうしてる。
 二見浦駅は無人駅だったが、あたしたちが電車を降りると車掌さんも降りてきてベビーカーを手伝ってくれて切符も回収してくれた。
 道中アーヤをのせたベビーカーはずっとぎしぎしいっていた。もう乳幼児ではないアーヤ。来年のことを思った。未来のことを思った。夜中に目が覚めてなかなか寝付けないときのような不安な気持ちにとらわれた。コンビニにお酒でも買いに行くか。
 真っ黒な外に出た。あたしたちは普段夜散歩するようなことはなかった。ベビーカーのアーヤを押しながら、ここは宇宙の片隅のようだと思った。
 ホテルのひとからコンビニまでの道を聞いていたけれど不安だった。外灯も車の明かりもなかった。星だけがちいさくくっきりとしていた。きっとここは天体観測にはもってこいの土地だ。天体の住む町だ。
 真っ黒な空を見上げる。なんだか感慨深い。アーヤとふたりで来れたことを見つめているような気がした。アーヤが生まれた三日目の朝、看護婦さんに起こされたことを思い出した。
 アーヤは硬膜下出血をおこして意識不明になっていた。原因はいまも分からない。アーヤは救急車で大きな病院に搬送された。あたしは帝王切開のあとだったので激痛で付き添えなかった。あの人が搬送先の病院に行き、それからあたしの病室に戻ってきた。
「アーヤはどうなの」
 あの人はしばらく無言のあと、
「目と耳は覚悟してくださいって言われたよ」
 と言ってから、
「ということは、いのちは大丈夫ってことだよな」
 泣き張らした目であたしに微笑んだ。
 向こうにコンビニらしき明かりが見える。でもまだ足元は真っ暗だ。
 アーヤの世界はこれより真っ暗なのかも知れない。
 もう少し明るいのかも知れない。太陽ならうっすらと感じられるのかも知れない。アーヤが光にかすかに反応している可能性があるとお医者さんに言われたことがある。
 でも遠い星は見えないだろう。星はなぜ、夜輝くのだろう。昼間だと太陽が出ているから見えないだけだ。あたしはなんでこんなことを考えているのだろう。星、星、天体、天体、あたしはつぶやきながら真っ黒な空を見上げた。そして、「アーヤ、アーヤ」とアーヤの名を呼んだ。
「アーヤのお星様は、どれかなあ、あれかなあ、どっちかなあ」
 ベビーカーを押しながら、声に出してそう問いかけた。
 アーヤのお星様は、今、あたしだと思った。でもそれは一瞬のうちに反転した。今、アーヤがあたしのお星様なんだ。
 この発見をずっとずっとかたときも忘れないでいよう。あたしは息をしずかにゆっくり吐いた。そしてスッと吸い込んでまた息を吐きながらこれまでのことを思った。あの人のことを思った。アーヤは3ヶ月間NICUから出てこれなかった。あたしたちは孤独だった。そのまま息を吐き続けながらこれからのことを思った。
 前方から車が来て、
「アーヤ」
 とあたしはアーヤに危ないとでも言うように声をあげた。車のヘッドライトがあたしたちを照らして去っていった。
 真っ黒だった景色にコンビニの光が染み込んでいた。危ないかなと思いながらコンビニの広い駐車場に入ってベビーカーを押し歩いた。
 コンビニに入ろうとすると、昼間出会った野球少年ふたりが出てきた。
「こんにちは」
 こんどはあたしから挨拶をした。
「こんばんは」
 少年が声をそろえて返してきた。そしてベビーカーをのぞきこみながらあたしたちの横を過ぎた。
「そうだね、こんばんは、だね」
 ふりかえってそう言うと、あたしは胸にあのパワースポットのぬくもりを感じていた。あのぬくもりの気配を感じていた。アーヤの伊勢うどんをマフラーにした物まねが甦ってきた。このからだには天体が住んでいる、そう思った。それは間違いないことのように思えた。





自由詩 (3/3)伊勢うどんをマフラーに Copyright 吉岡ペペロ 2015-12-20 18:51:17
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