Miz 11
深水遊脚
人の呼吸のしかた、姿勢、歩き方から運動しているかどうかがわかり、筋肉のつき具合まで短時間でわかるくらいだ。柏木も地道な肉体の鍛練を愛しているのだ。そして特殊能力の修得もその延長上に描いている。だから特殊能力レベルとはいえ人の力を減退させて戦いを有利に導く力、デクレッシェンドを柏木は憎んでいるのだろう。それならばそれで構わない。厄介なのは女性蔑視がそこに濃厚に絡み付いていることだ。1年と少し前、明らかに1人、戦闘員として申し分ない女性が我々に三下り半を突き付けここを去った。それ以来だれもが女性の扱いに神経質になっているなか、こう軽々しく不用意な発言をされてはかなわない。さすがに柏木も少しは後ろめたい気持ちはあるようだ。視線をそらし、励みます、とだけ言ってそこを離れた。俺はまだ須田をよく知らないが、柏木との相性が悪いであろうことは想像できた。戦闘訓練を柏木に担当させるのは本当によいだろうか。しかし誰かに代えるとして、青山や三津では危険すぎる。昨日の模擬戦で柏木は、終盤でも本来の力の5割も出していなかった。急成長しているとはいえ青山はそのレベルだ。三津も似たようなものだ。新人の頃の柏木はいまの三津に似ていたらしい。コツコツと身体能力の鍛練を重ね、特殊能力も少しずつ研き、出来ることを増やしていっている。着実に育って欲しいから力が奪われるかもしれない危険に晒すわけには行かない。間城はどうか。能力は柏木より少し勝る。しかし人を育てることは不得手だ。よくいえば自由放任、悪くいえば人の成長に関心を示さない。事務的で冷たいところもある。まあこういう性格が合う者もいるだろう。トレーニングの立会人としてつける記録員を優秀な者にして数を増やせばそれでもいい。でもそんな面倒なことをする位なら最初から柏木を須田につけるほうが圧倒的にいい。女性蔑視は全員が心の奥底で抱えている問題で、柏木にだけそれがあるわけではない。自覚を促すべきであり、心の奥にそれを抱える者を排除するようなことをすれば各々の自覚は遠のく。排除や攻撃、あるいは自己批判の強制では解決しないのだ。気づきはあくまで自主的でなければならない。これについてはレグラスのいう、封じる力よりは引き出す力、というのがヒントになると俺は考えている。封じる力を働かせる理不尽な約束事が幅を利かせる組織は指導者の怠惰を無限に許す。未熟者が指導者になるしかない組織が使う方便として生きる厳しさだとか、耐える美しさだとか、その手の美談が麻薬として機能する。俺は指導者の怠惰を許すそうした麻薬は注意深く排除するつもりだ。
須田は早速、今後の訓練のための身体能力の測定に入った。亀山広夏と青山が半日ついて様々なテストをしたが、ここ1~2年の志願者のなかでも群を抜いて優れていたそうだ。彼女が習慣的に続けてきたというダンスに腕力と脚力を鍛える動きを足したものと、マシンを使った筋トレを中心に、日々のメニューが組まれた。そのダンスと筋トレを青山と、記録員の橋本とがチームとなり行う。週一回の格闘訓練は青山が相手で橋本が立ち会う。もちろん訓練生相手に青山は特殊能力を使わない。そのことは訓練を統括する亀山広夏が監視する。須田のほうにも偶発的な特殊能力の発現があり得る。その場合には直ちに訓練を中止する旨を広夏には伝えてある。記録員はフィットネス倶楽部のインストラクターのなかから選ばれており、橋本のほかに坂田、押本、山川がいる。広夏の計らいで、ダンスエクサササイズが得意分野である橋本が選ばれた。第1ステージの訓練にダンスを採り入れるケースは多い。一見楽しそうであり、実際ストレス軽減のための工夫も少しはしているが、それでもついて行けなくなる者のほうが多かった。
数日間の訓練をみる限りでは須田は他の訓練生と変わらなかった。他と変わらずボロボロだった。ダンスが好きだった者、ダンスで体を鍛えていた者は最初にうまく適応できないことで自信を挫かれる。青山も橋本も想定内なのか、特に慌てた様子はない。
「体力測定で、どこを強化する必要があるのかを把握して、苦手な動きばかり詰めこんでエクササイズを組み立てますからね。体もしんどいし精神的にもタフです。最初にこれを乗り越えないと、どこにも行けません。青山さんと、私からも何度も話していますし、彼女も納得はしています。でもこうなるのは仕方ないですよ。」
報告書を提出したときに橋本が言い添えた。須田のことだから俺のところにこういう報告が来るのだろうが、他の訓練生なら私闘などの規律違反でもない限り報告すらない。誰もが経験する、俗に洗礼と呼ばれるものに過ぎない。政志が親身になって愚痴を聞くことがたまにあるくらいで、殆どの人間は無関心だ。あえて橋本に聞いてみた。
「この段階での定期的な報告は意味がないだろう。誰かの指示があったか?」
「それは、お父様、お母様が青山さん、真水さんと食事したときに決まったそうです。真水さんの状態を定期的に幸政さんに報告するようにと。」
なるほど。須田は父と母のお気に入りというわけか。もしくは青山が俺に何も隠していないという姿勢をみせるために言い出したことも考えられる。どちらにしても、思いつきの口約束なのだろう。でなきゃ俺にもう少しきちんと話が来ているはずだ。トレーニングの監視役を務める亀山広夏はいわゆる新人いびりに厳しい。彼女がいるのだから、透明性の配慮で俺に詳細な報告が上がるようにすることは不要なはずだった。市田と亀山の内部的な確執もあるかもしれないと思うと、うんざりした。
いくつかの数値を継続して把握することにした。脳波測定データと心拍波動。それと唾液、血液、尿、汗、トレーニング中の吐気などのサンプルを分析したデータ。これらを追えば訓練中の肉体的・精神的な状態をある程度は把握できそうだ。直近3日に限っていえば脳波のレベルも低いし年齢の割には肉体の回復が遅いようだ。いくつか原因は考えられる。社会と繋がりを保つ程度に外部で職をもつことを薦めているが、訓練との両立はそもそも厳しいだろう。真面目にここの訓練について行こうとし過ぎると簡単に肉体と精神の限界を超える。さてこの状態からどのように須田の能力を引き出すか。そして訓練生のひとつの成功モデルである、多忙な状況を主体的に引き受けて訓練として利用する、24時間トレーニングの状態にもって行くか。
そろそろ来る頃だと思っていたら案の定、母親の市田春江が俺との打合せを、いやに改まった口調で求めてきた。打合せの内容は分かりきっていた。須田の状態を頭に叩き込んで臨んだ。
「何か用か?」
「ええ。重要な用事よ。結社の理事の一人としてね。」
「そういう筋を通すなら理事会を召集したらどうなんだ?」
「ことは真水さんの訓練のこと。青山くんと橋本さんに任せている現状で問題はないわ。わざわざ理事会なんて召集して騒ぎ立てたら皆が何事かと思うじゃない。青山くんたちも萎縮するし、監視役の広夏さんの面子も丸潰れよ。組織のリーダーなのに、そんなことも分からないの?」
やっていることは無茶苦茶なのに所々こんなふうに正論を挟む、ヤクザの姐さんのような厄介な人物である。
「訓練の些細なことまで俺に報告が行くようにしたのはあんただろ?ほかの訓練生でこんなことはなかった。なぜ須田だけこうなんだ?」
「何?その迷惑そうな言い方。真水さんだけでなく、ほかの訓練生についてもこんなふうにフィジカルとメンタル両面のコンディションについて情報を共有して行こう、という発想は出てこないの?たいして処理する情報が増えるわけではないし、思い込みによる人物把握が客観的な事実に置き換わるのは結構なことよ。あんたは勘で何もかも決めつけすぎるの。」
「いちいち話を刷り変えるな。そんな構想があるなら、ちょこまかと思い付きでやるんじゃない。計画を提出して筋を通せと言ってるんだ。上が思い付きで引っ掻き回したら下が混乱するんだ。」
「いつも通りのことを何も考えずにしたい。そんな欲求、守るに値しないのよ。差し迫った危機の前にはね。それが潜在的な危機なら情報を持ち寄って皆で話し合って決めるというわけには行かないわ。そんなことをしても、 間違った決定を導き、固定してしまうだけ。」
声の質が変わっていた。俺は相槌を止めた。短い沈黙を挟んで春江は続けた。
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