初対面のふり
深水遊脚

 仕事の定休日である木曜日にクリスマスイブが重なる。誰とも約束せず、普段通りに過ごす。それだけのことが空虚でつまらないことと感じてしまう理不尽な日。いつもなら仕事に打ち込むことでその空虚を埋めていた。でも今年はそれができない。別の方法を考えて計画を慎重に立て、ひとつひとつ実行してきた。柔軟剤で洗った清潔なタオルを大小2組用意した。2DKのアパートの1部屋とお風呂を徹底的に掃除した。商店街の肉屋で予約していた鶏1羽を受け取った。酒屋にも寄り、ロゼのスパークリングワインを買った。通販で昨日届いたクリスマスツリーを組み立てた。スモークサーモンとクリームチーズとアスパラを湯葉で巻いたオードブル、甘味の濃いトマトとカマンベールチーズを使ったカナッペ、グリーンサラダ、ローズマリーとポテトのオーブン焼き、料理は着々と出来上がって、あとは鶏をオーブンで焼くだけだ。デザートはケーキではなくシュトーレンにしてみた。昨日の仕事帰りにパン屋さんで購入済みだ。

 別に女の子が嫌いなわけではなかった。でも気になる女の子と接点をもつためにグループに属していつも一緒に行動して人間関係を築きあげ、クリスマスは二人で過ごそうと持ちかける、その一連のプロセスも苦手なら、クリスマスはこう過ごすものだといわんばかりの街のイルミネーションやショップのディスプレイ、毎年かかる同じクリスマスソング、そういうのも苦手だった。単体では好きなものも多いけれど、それらすべてがクリスマスというテーマで分かちがたく粘りついて離れない、そんなのが嫌だった。かつてこんな泊まりがけのクリスマスデートをしたことがあった。12月24日に西武鉄道の特急レッドアロー号で秩父まで行く。クリスマスケーキを秩父で手に入れて、秩父鉄道で更に奥に行き、予約していた温泉宿に着く。宿は貸し切り状態で、なにより静か。老舗旅館の料理の一つ一つを、そんな状況では染々と味わえた。山女魚の塩焼き、牡丹鍋でその土地を感じ、体が温もったあとで、持ち込んだケーキを開けて、ささやかにクリスマスを感じる。いまそんなデートを計画しても同じように楽しめるかどうかはわからない。こんなデートを一緒に楽しんでくれた人は、よほど私と合っていたのかもしれない。

 ローストチキンにとりかかった。あらかじめ綺麗に水洗いして、オレガノと胡椒と岩塩をすり込んで寝かせておいた小型の丸鶏を、余熱したオーブンにいれて80分くらい気長に焼くだけ。最初の40分はアルミホイルを上に被せて蒸し焼き状態にして、アルミホイルをとってからは、焦げすぎないように時々様子を見る。時計をみた。5時を少し過ぎたところ。そうしようと思っていた通り、デリヘルに電話した。指名はせずに、6時頃来てくれる人なら誰でもいいと伝えた。クリスマスの演出を共有してもらうだけのために誰かを呼ぶ。所詮はその程度なのだから、これが一番理にかなったやり方だと思う。余計な言葉も気取りもいらない。今日それなりにかけた手間は全部自分のため。相手の人には自由に感じてもらえばよかった。5時20分、鶏を覆っていたアルミホイルを外した。シュトーレンを薄く切ってお皿に並べ、珈琲を淹れることにした。手挽きのミルで深煎りの珈琲豆を挽き、サーバーの上にセットしたドリッパーとフィルターの上に乗せる。沸き上がったお湯を少しさまして注ぎ、珈琲粉を静かに湿らせる。鼻を近づけたときの香りがホワイトラムに似てきたら、粉の中心から周辺へと、「の」の字を描くように静かに注ぐ。最初の注湯で粉がドームのように膨らんだ。お湯があまり減らないうちにこまめに足し、4杯分くらい入ったところでドリッパーを取り去った。最初の一杯を小さなカップで飲んで、初対面の人に会うそれなりの緊張を和らげた。焼き上がった鶏をローズマリーポテトの横に盛り付けてすべての料理は完成した。

 6時を少し過ぎてインターホンが鳴った。ドアを開けて中にいれた。

「こんばんは。あかりです。よろしくお願いします。」
「………」
「………!」

気付いたのがほぼ同時だった。彼女は高校のときのクラスメート、西田郁子。人気のある派手目の女の子のグループに属していた、少し控えめな子だった。あまり接点がなかったのでよくは知らない。僕は僕で、中の下くらいのグループに属していたし、友達が何人かの女子にバイ菌扱いされていたおかげでクラスの女子にあまりいい印象を持っていなかった。

「久しぶりだね、佐藤洋くん。」

ひきつった顔で絞り出すようにそれだけ言った。この仕事をしている姿を知り合いに見せたくはないだろうし、ましてその知り合いが高校のときのクラスで下にみていた、親しくもなんともない男子となれば、ひきつるのは自然。屈辱すら感じているかもしれない。

「1回なら無料でチェンジもできるけど、どうする?」
「いいよ。2時間コースでお願い。」

彼女はお店に伝えた。動揺をみせないポーズが却ってぎこちなさを醸し出していた。とりあえず目につくものについて話して間を持たせる、というふうに郁子が言った。

「これ全部、洋くんが作ったの?」
「そうだよ。お腹すいていたら遠慮なく食べて。珈琲、スパークリングワインもあるし。先にシャワー浴びてくるね。」

間が持たない会話から逃げるように僕は風呂場に行った。なまじ知っているだけに、予定通りにまずスパークリングワインで乾杯する気分ではなかった。シャワーも一緒に浴びることが多かったけれど、いまとてもそんな気にはなれない。体の隅々まで洗ったけれど時間はかけずにすぐに出た。大きなバスタオルで注意深く体を隠して、声をかけた。

「シャワー浴びる?」
「うん。お料理、少しもらったよ。洋くん、すごく上手だね。」
「苦手なものはなかった?お酒も珈琲もいける?」
「大丈夫だよ。お酒もOK。不味い珈琲は苦手だけれど、この珈琲なら飲める」
「そう、よかった。服はこの籠に入れて。タオルはこれを使って。」

そう伝えて風呂場の脱衣所のカーテンを閉めた。バスタオルを巻いたまま、チキンとポテトを少しお腹にいれた。

 高校生のときのよくわからない序列や、些細な出来事の記憶なんて、所詮は誤解まみれでねじ曲げられたもの。一度全部棄てて、相手はもともと知らない初対面の女の子だと思ってこの2時間を過ごそうと思った。昔話は自分からはしない。友達の消息とかそんなのも聞かない。これは聞き返されると困るからでもあるけれど。初対面のふりはそう難しくはない。もともと何も知らないのだ。

 暖房の効きが思ったよりも悪い。部屋がうまく暖まっていなかった。シャワーを浴び終えた郁子に声をかけてみた。

「寒い?」
「ううん、大丈夫だよ。」
「僕は少し寒い。体が冷えたみたい。」

彼女の反応を注意深く確かめながら、バスタオルを外して軽く肌を重ねてみた。それから二人で蒲団のなかに入り、同じ強さで抱きしめて言った。

「しばらくこうしてていい?」
「いいよ。」

本当に10分くらいそうしていただろうか。油断すると眠ってしまうくらい気持ちよかった。どちらからともなく、体全体を軽くこすりつけるように動かした。やがてそれは絡み付くような動作になり、呼吸も荒くなった。郁子のプロフェッショナルなスイッチが入ったのがわかった。手を使った愛撫、体のこすり付け方、唇の使い方、すべて全然無駄なく性的な昂りに結び付いていた。素股でのフィニッシュを希望して、ものの数分で射精して果ててしまった。飛び散った精液をティッシュで拭き取り、そのまま最初みたいに軽く肌を合わせた。

「スパークリングワインで乾杯してみない?」
「そうしようか。」
「少しだけ体を洗わせてね。」

彼女がシャワーを浴びる間に、僕はシャンパングラスを用意して、すっかり氷の溶けたシャンパンクーラーのなかのスパークリングワインの栓を開けた。幸いまだそこそこ冷たかった。グラスに注いだロゼの色を、シャワーを終えた郁子が誉めてくれた。来た時とは大きく違って、すっかりリラックスした様子だった。

「乾杯!」

裸のままで少し可笑しかったけれど、そのままグラスを重ねた。

「ありがとう。こんなにきちんとしたクリスマスっぽい時間を過ごせるなんて、今日は期待していなかったから嬉しかった。お客さんでクリスマス祝ってくれる人は珍しくないんだけれど、ここまで手作り感のあるのはなかなかないから。」
「ううん。自分の好きなものを並べただけだから。これで駄目なときはいくらでもあるもの。郁子さんに喜んでもらえて嬉しいよ。」
「本当はお金を貰う私らがお客さんをお祝いしなきゃいけないのに、一応用意したけれど、これじゃ釣り合わないよね。」

郁子が差し出した封筒の中をみた。

「次回割り引きクーポン?」
「ごめんね。こんなんで。でもイブのデリヘル、本当にお客さん少ないんだよ。」
「なるほどね。お店としては分かりやすい感謝の示しかただね。指名客も増えるかもしれないし。」

郁子の顔が曇った。個人的な思いを寄せられることを警戒しているのは僕にもわかった。

「初対面のふりって、もっと難しいと思ってた。でもよく考えたら僕は郁子さんのこと全然知らないし。当時のクラスメートの適当な評価なんてまず当てにならないし。でも知らないから会う楽しみもあるし、今日みたいに好きなものを持ち寄って並べて、そのときを楽しめたらそれでいいんだと思う。クーポンありがとう。使うかどうかはわからないよ。僕もそんなに稼ぎはないし。だから、今このときを楽しんでいたい。」
「もう一回、お蒲団に入る?」
「ううん。その美味しそうに食べている姿を少し眺めていたいな。」
「もう会えないよ。多分。して欲しいこと、我慢しないほうがいいよ。」
「それじゃ、下着姿になって。」
「裸よりも下着姿がいいの?」

頷いた。変わってるね、と郁子は脱衣所の籠から下着を取りだして身に付けた。僕もトランクスを穿いた。

 持て余すだろうと思っていた料理はあらかた片付いた。テーブルについてからの郁子は間を置かずに口を動かしていたように思う。3杯目のスパークリングワインを求めてきたとき、さすがにこの後の仕事が心配で止めた。代わりに珈琲を彼女に1杯淹れた。珈琲豆の入手先と雑味を出さない淹れかた、今日出した料理の作り方の話になると彼女は熱心に耳を傾けた。そうこうしているうちにお店から電話がかかってきた。

 慣れた感じで服を着た彼女に合わせて僕もジーンズとニットを着た。「またね」とも「さよなら」とも言わず、「今日はありがとう」と伝えた。別れ際に彼女がくれたフレンチ・キスの余韻にしばらく浸っていた。


散文(批評随筆小説等) 初対面のふり Copyright 深水遊脚 2015-12-11 15:04:49
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