夕焼けの海
イナエ
夕陽は波の音を残して
海と空の混沌に溶けていく
松の梢から昼の光が消えると
ぼくの中で映像がうずきはじめる
時を忘れて遊んでいたぼくらに
夕餉を告げる母の声がとどくとき
一日の終わったさみしさのむこうに
明日があることを信じて
色褪せていく空を見上げる
「イチバンボーシ ミィーツケタァー」
盛り上がり 陸に攻め入り
子を呑み 母を飲み込んだ海
太陽は鉄骨のシルエットを浮かび上がらせ
破壊された人間の暮らしを抱えて沈んでいく
海藻の間を縫って稚魚の群れが泳ぐ
重い音が残響を引いて遠方から聞こえてくる
魚群の中に子どもの生命が隠れているかのように
若い母が子の名を呼びながら通り過ぎていく
海中に漂う人間の思念は年を取らない
その震えた声に海が共鳴するとき
稚魚の背にさざ波が立ち
海底の岩は珊瑚の破片を抱きしめる
夕焼けが人の情(こころ)をうつのは
子を呼ぶ母の声が聞こえるからかもしれない
「蕊」56号