もり

まだビニルの臭いがする五体の人形から初老女の指紋を検出するのにそう時間はかからないと男が笑う。
手袋の内側に付けられた粉はパン屋のそれとは大違いだ。
牛乳にクルミを砕いて入れながら、デリバリーヘルス嬢が言った、
「あんたハッカ油のつけ過ぎよ」白い液体がおれの眉にはねた。
来月にはドイツ行きの航空券を買える。それはおれの心を真夜中の公園のブランコのように安定させる。
街灯の下では、金色の蛾の鱗粉をチンドン屋が餅を拾う要領で集めていく。彼らが収入の大半を集会での菓子代に使っていることを知って、おれは仕事をやめた。顔見知りのひとりが車椅子に乗ったまま手招きする。やつの尻は褥瘡で手の施しようがない。
おれは嬢に軽口を叩いた。それは野良猫の飼い猫へのルサンチマンかもしれないし、ただビロードのように滑らかなシュプレヒコールだったかもしれない。横文字が好きね、ハイヒールの踵で和紙でできた敷き布団カバーに穴をあけながらまったく悪びれる様子がない。冬の空にたなびく煙草の煙。それが嬢の仕事のやり方であり、通奏低音だった。
「延長ドースル?」2分前にチャプスイをオーダーしておいて言う台詞ではないが、そこには目をつぶって缶ビールのプルタブを投げつける。すると嬢は麻薬中毒者にホテルへコールされ、彼が永遠に部屋の中をぐるぐると回る悪夢、つまりありきたりな話をはじめた。おれは次で帰ってくれ、と金をガラステーブルの上にコツン、と起き目を閉じた。
翌朝。瘴気に包まれた駅のプラットホームでネクタイを忘れたことに気付く。分別が徹底されるようになった街で、都市の幸がなくなったとチンバの男が泣いている。Wi-Fiが自動接続されたのが見える。
「yumi_sator_i」
それがドイツへ留学しているはずの彼女のものであるという事実をおれは摩耗したレール上に乗せる。
何てことはない。メチレンブルー水溶液のように冷たい警笛が赤いランドセルの少女の頬をくすぐった。
まだビニルの臭いがする五体の人形から初老女の指紋を検出するのにそう時間はかからないとまた、おれはいつものようにキメた。




散文(批評随筆小説等)Copyright もり 2015-11-29 23:54:52
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