歌はもう歌わないと決めたけど
夏美かをる

もう二度と歌は歌わない
そう決めたのは
合唱コンクールの練習の時
隣の子がクスッと笑ったから
以来本当に僕は歌を歌わなかった
音楽の時間は口パクで通したし
歌のテストの日はズル休みをした

所詮僕は“歌声”と共に生まれて来なかった
父も母も“歌声”を持っていない
遺伝という言葉で片付ければ納得がいくこと
そもそも“歌声”などなくても困ることはなかった
代わりに僕のクラリネットが
思い切り歌ってくれていたし

君が隣のクラスに転校してきたのは
新緑のまばゆい季節だった
肩を揺らしながらぎこちなく歩く君の姿を
以来何度か見かけた
けれど君とは一度も会話を交わすこともないまま
季節は目まぐるしく流れ去って
再び風が薫る頃 君はまた転校していった
後から噂で聞いた
君の転校先は養護学校であること
君は筋ジストロフィーという病気であること

君と偶然再会したのはそれから一年後
母に連れて行かれたチャリティコンサート
その舞台の上に電動車椅子に乗った君の姿
五曲めに訪れた君のソロパート
天井を貫き天空へと真っ直ぐに伸びていく
澄みきった君の歌声   
もうすぐ失われてしまう君のボーイソプラノ
初めて聞く君の声
ああ、君、君は“歌声”を持って生まれてきたのだね
硬直していく体中の筋肉に 残された力の全てをたぎらせて
絞り出された君の打ち震える声が
乾いた僕の皮膚を突き破り
やがて六十兆の細胞の隅々にまで染み渡って
僕の血を躍らせ、
僕の魂を揺さぶり、
知らぬ間に僕の唇を突き動かす

僕が何不自由なく学校生活を送り
呑気にクラリネットを吹いていた間にも
君の自由は容赦なく奪われていったのだね
君の愛するお父さんとお母さんから
その奇跡の“歌声”と共に
忌々しい病気をも授かってしまった君の
胸の奥底で渦巻いている鈍色の湧水を
僕には掬い取ることができない
その他大勢の観客の一人であることを享受してきた僕から
遥か壇上の神聖な光の中にある君までの距離は
余りにも遠くて 僕は君に寄り添えない
だからせめて今は
君と一緒に歌いたいと思った
君、一緒に歌わせてくれないか?

"歌声"は持っていないけど、
歌はもう二度と歌わないと決めたけど
僕は歌っていた
君と共に君の歌を歌っていた
目の前で今まさに美しく燃え立つ君の命を
僕だけのやり方で そっと祝福するために 
僕はその歌を歌っていた
君と一緒に歌っていた


自由詩 歌はもう歌わないと決めたけど Copyright 夏美かをる 2015-11-25 17:25:36縦
notebook Home 戻る