秋、帰る
もっぷ
その年の秋も、あちらへこちらへさまざまの波紋を投げかけながら冬へと育っていった。東京のような雑多な坩堝にあっても例外ではなかった。
かの都会の片隅、聞こえよく庶民の人情が息づいているなどといわれている下町ではあるけれど、実際のところ住民からは大いに疑問の寄せられる、そんな廃れた町に一人の少女が暮らしていた。
切ない半木造アパートの一階の一番北向き、夏には涼風が避けて通り、冬には木枯らしの格好の標的、そんな部屋である。
秋は乳離れをしないままに捨てられた仔猫のように少女につき纏って、日日自分が在るということを色彩でも匂いでも音による便りでも主張をやめなかった。
「なぜ、そんなに君、わたしの前に?」
少女が、思いきって尋ねてみれば、
「くすくすくす…」
親しみを持った、けれど姿の見えない気配だけで応える。
実は少女は、この秋は嫌いだった。なぜならクリスマスは迎えられない命を生きている大切なひとがいたからである。「二人」にとって、この秋は、宣告で始まり、一つのおしまいによって閉じられるということが神の采配で決まっていた。
少女の涙はとうに枯れ果てていた。
嫌いといいつつも淋しさゆえか、秋とは、いつの間にか双方の気が向くとお茶会を開くような仲となっていた。
秋の大好物は甘い、甘いミルクティーである。ちょっと女性的な? それともお酒はのめないのかしら…。
つかみどころのない、
「くすくすくす…」
傍からすれば、少女は気が違っていてひとりごとをいうような何かの病なのではないのか、そんな連想につながる様子が頻繁に見られた。
そう、その秋は男性であった。少女にいつ求婚をしてもおかしくはない、それほどに明けても暮れても少女、少女なのであった。
いっそこのまま自分の故郷まで少女を連れて駆け落ちをしたい、秋の本心はそうであった。
彼は自分の領分といえる短い時間をわきまえて、ひっそりと涙ぐんだ。彼もまた切なかったのである。
銀杏が、ほぼ黄唯色に移ろい終わりそろそろ衣を電飾と取り替えたそうにもじもじしている。
秋は、この日風となって町を歩いていた。いよいよ困り詰めて、少し頭を冷やそうかと荒川の土手にやってきた。
自分は少女の大切なひとの死神の役を神さまからいただいている、というのが真相なのである。しかし、すっかり憔悴しきっている、彼に唯一の女性にとってのかけがえのない命を、と思えば、意気消沈するのも当然だろう。
おまけに神との約束を果たすために許された時間は情け容赦なく過ぎ去ってゆく。
「つまり、はっきりとさせなくては」
秋は思った。
自分は一人の少女の平凡なつつましい幸せを奪って神さまに届けるお遣いである、ということである。いつでも、いくど仰せつかっても嫌な役割であった。
それでも秋は帰らなくてはならないし、とても帰りたかった。天のお国が里である。
いよいよ催促の雨が降りしきり始め、時が待ってはくれないことを秋はひしひしと感じとっていた。
いつもの荒川の土手で、秋は悩んだ挙句に結論に至った。つまらない自分がいっそ身投げしてしまおうと、そう決めてみたのである。次に生きる望みはもういいだろう、懐かなくてもかまわない、と。
――少女が、久しぶりの明るさを浮かべて部屋で電話の受話器を抱えていた。
「お父さんが…それ、本当ですか」
「本当にそんなことが…」
それだけ確かめてのち、秋は姿を消した。移ろい、終わったのである。生まれたばかりの季節の訪れのころに、海は秋をのみこんだ。
秋は、海へ帰っていった。天のお国ではなかった。その秋は二度と再生することなく、新しく廻ってきた冬、は天が再びおなかを痛めた子どもである。
帰った季節は甘いミルクティーの夢を見ながら、自分の、時間としての終わりと引き換えに再びの庶民としての安らぎを得ることのできた少女に、最後の恋をしていたのだった。
「… … …」
秋は真実、帰っていった。