看取り(3/3)
吉岡ペペロ

看取りは二晩続く。その二晩が終われば、二日お休み。そのあとは三日間通常の勤務。そしてまた看取りだった。看取り二日目の日はいつも息子は老人ホームで遊んだ。
「すっかり人気者だね」
同僚の立石さんがぼくを起こして楽しそうな顔をして言った。ぼくはまたこれから107号室だ。たいして疲れが取れていない。息子の寝顔を確認して107号室に向かった。
看取り二日目の杉下さんは昨夜よりかは安心して見つめることができた。でも消えない疲れの塵がぼくの脳みそや筋肉に積もってゆくことに変わりはない。ぼくは真剣な遊びをして気を紛らわらす。
真剣な遊びをしているといつのまにか振り出しに戻ったみたいになって違う考えごとをしている自分を発見する。なんの脈絡もなくふと、妻もこんなふうにして誰かに看取られて逝くのだろうかと想像した。
妻の裏切りをぼくは裏切りとは思っていなかった。妻が裏切ったというなら、ぼくだって祖国の家族を裏切ったことになる。でも息子はちがうだろう。息子はママがいないことでぼくを責めたことがないような気がする。だから息子は妻を責めているのではないか。息子がもしぼくも妻も責めていないのだとしたら、彼はどれだけ苦しいだろう。
息子の寝顔が浮かんだ。胸に鈍痛が走りぼくは思考をとめた。
この痛みは祖国のことに違いないと思ったからだ。ぼくは日本で息子と暮らすことしかもう考えていない。考えていないというより、ここで息子を育てる以外、幸福になる方法はない。

杉下さんは持ちこたえてくれた。それはこの仕事の唯一のかすかな喜びだった。午前の光を辿りながら息子のホームでの話を聞いていた。
「おばあちゃんがすき焼き食べに来なさい、って言うよ」
「すき焼きか、パパもよく言われるんだ」
「いっしょに行こうよ、すき焼きって、おいしいんだよ」
「すき焼き知ってるのか」
「きのうの夜ごはん、肉じゃがだったでしょ」
息子は同僚の立石さんに肉じゃがをもっと美味しくしたのがすき焼きだと教わったのだそうだ。
「でもね、立石さんは誘われたことないんだって」
風が強い。風が春のひかりから熱を奪っていた。埃が舞う。アスファルトに付着した埃たち。
花粉症の同僚の女の子が花粉症はアスファルトのせいだと言っていた。
「きれいな道になったお陰で、花粉がどこにも行けずに舞っているの」
「どういうことですか」
「杉の山の麓でも道が土のあたりでは花粉症にはならないらしいわ」マスクをでこぼこさせながらそう教えてくれた。
「お、とととと」息子が強風に身を任せてふざけていた。
「よし、パパが鳥をやってあげよう」
「え、なになに、やってやって」
幼いころよく両親や親戚のおじさんに鳥をやってもらった。ぼくは息子のうしろにまわった。そして彼の両手首を持ってそれを広げた。
「わ、鳥だ、鳥だ」正面から強い風を受けて息子が喜びの声をあげた。
「気持ちいい」
息子がそのままの形でぼくの両腕を引っ張って前傾を深くした。ぼくもそうしていたように。誰から教わらなくても鳥をしたらみんなそうするのだ。川べりで妻にもしたことを思い出した。
鳥になった息子が無心で風を受けている。息子のジャンパーが音を立てていた。ぼくの耳よこを通る風音とそれが重なった。
風がおとなしくなった。「今度はぼくがお父さんに鳥してあげる」息子がぼくのうしろにまわった。ぼくの手首にちいさい手がからんだ。息子を日本で育てたいと強く思った。息子への気持ちがあふれた。また強い風が吹いてきた。愛しい気持ちのまま、ぼくは息子が転ばないように気をつけながら、すこしだけ身を前に倒した。息子の手に力が入った。幸福だと思った。
母国語で居場所という意味のいまのぼくの仕事。夜、死んでゆくひとを見守る仕事。ちいさい手でぼくの手首をつかむ息子。ぼくも風を顔に浴びていた。
「わっ」息子が叫んだ。
息子が支えきれなくなって、ぼくはアスファルトに胸を打ちつけた。砂埃が目に入る。鼻にまで入ってきた。
「お父さん大丈夫?」息子がぼくの背中のうえで笑っている。大丈夫に決まっている。
ぼくはそのまま立ち上がって息子をおんぶした。大丈夫だ。ぼくはいま喜んで生きている。









自由詩 看取り(3/3) Copyright 吉岡ペペロ 2015-11-22 01:12:02
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